漢字とひらがなの使い分けの最近のブログ記事

数字の書き方

| コメント(0) | トラックバック(0)

悪夢とも思へるやうな震災の一日を思ふ12年過ぎしも」(瑞希)
あおぎり先生、こんばんは?!♪今日、1月17日は・・・日本国民にとって、忘れもしない・・・「阪神淡路大震災」の起こった日ですね。多くは、語りませんが。。。ただただ、この教訓を、今後にどう生かすかが?私達に課せられた課題でもあると思ってます。よろしくお願い致します。

歌で「悪夢」とありますが、瑞希さん(および身近な人たち)も相当な被害を蒙られたのでしょうか?次は東海、東南海大地震だそうです。それが起こったら愛知住まいのわれわれはひとたまりもないかも。阪神淡路大震災では6千人余が命を落とし、負傷者はさらに多く、家屋を失った人たちも数限りないくらい・・・。東海、東南海大地震が併せて襲ったら、その一桁増しかも。

添削(改作):
悪夢なり阪神淡路大震災十二年過ぎしても記憶まざまざ」(瑞希)

あおぎり先生、こんばんは?!添削(改作)をしていただき・・・ありがとうございました。
私は、中国地方なので・・・あの当時、震度4位だったと思います。
日本は、「地震列島」ですから・・・これからまだまだ、不安な状況が続きそうですね。
でも、離れるわけにはいかないし。。。
ところで、短歌の場合・・・「12年」と言う表記は、駄目ですよね?「十二年」ですよね。


いえ、常に十二という漢字表記でなくてはいけないということではありません。その歌の中でどちらがいいか決めるものです。ここでは漢字に挟まれているし、歌の印象から漢字がいいと判断しました。一首ごとに考えるべきことですね。

ちょっとした配慮

| コメント(0) | トラックバック(0)

「「可愛そう」は野菜作りに禁句だと義母は得意気に青虫つぶす」(愛)
今、義母から野菜作りを教わっています。無農薬、有機栽培は、けっこう手のかかる作業で、自分たちの食べる糧を作るのが精一杯。ネットをかぶせて蝶の来るのを防いだり、それでも青虫がとまっていればつぶしてしまうのです。「得意気」という言葉に替わる語句がどうしても考え出せません。御指導宜しくお願いします。

そうしたお義母さんの行為が愛さんには「得意げ」と見えたのなら、そう表現するしか仕方がないわけですが・・・。批判の匂いがちょっとするのでは、と気になるのでしょうね。ともかく、「無農薬、有機栽培」での野菜作りを教わりながら、その苦労も同時に教わっているわけですね。次世代へは愛さんが教え手となる。

添削:
「「可愛そう」は野菜作りに禁句だと義母は無造作に青虫を潰す」(愛)

元歌の「青虫つぶす」では語が流れて青虫への焦点が弱くなるので、字余りになりますが、あえて「を」を入れ、また行為がはっきりイメージされるよう「潰す」と漢字にしました。短歌は、こうしたちょっとした配慮が案外に効果のある場合が多いものです。歌詠みは、そうした配慮を厭わないものですね。)

「しりとりで紡ぐ言葉は六歳の吾子の広がる世界を映す」(麻里子)

息子としりとりをしました。どこで覚えたのか「ソマリア」などと言い,息子の世界がどんどん広がっていることに驚かされました。

アフリカ東部の、あの戦火(内戦)の国だったソマリアですか?すごいですね。確かに「六歳の吾子の広がる世界を映」しています。息子さんが成人されるころ、世界に戦火がなくなっているといいのですが・・・。「尻取り」という漢字を避けられた繊細さ。

「しり取りで紡ぐ言葉は六歳の吾子の広がる世界を映す」(麻里子)

(いい歌ですね。)

意味の違う漢字

| コメント(0) | トラックバック(0)

「繰りかへし繰りかへし児に匙運びし日我(われ)乳色のカプセルの中」(銀色の風)
まだ意志の疎通も出来ない、ただ親の庇護を求めている幼児の親に自分がいざなったとき、喜びや幸せはむろんですが、それ以外の思いもありました。外出の多い仕事を減らし、家でこどもと向かい合う毎日。乳色のカプセルに「閉じ込められている」という使役の気持ちと「閉じこもっていたい」という思いがないまぜでした。今、思えばどちらも懐かしいです。歌の「我乳色の・・」の部分ですが、続けて書くと漢字が連なって「がにゅういろ」と読めます。こういうときは構成を変えるしかないでしょうか?「われ乳色の」で意味が通ればいいのですが。

幼子の育児当時の思い出ですね。初めて子を産み、育てるという経験は、女性にとってこのような感覚なのかな、と思わせられる一首です。子がまさに自分の分身に思える時期でもありましょう。幼子には個性がすでに芽生え始めているのでしょうけれど。なお、言われるように「日我乳色」と意味の違う漢字がこのように連続することは避けたいですね。読みづらいです。「われ」でいいです。

添削:
「繰りかへし匙を幼児に運びし日々われは乳色のカプセルの中」(銀色の風)

「食卓で愛しい笑顔と向かい合い年を重ねる幸噛みしめる」(麻里子06/07/18

ご無沙汰しております。おかげさまで大変体調が良くなり、三連休は自宅で過ごすことができました。海の日は私の誕生日でしたが、家族と共にいることの幸せを改めて感じた日でした。添削、よろしくお願いいたします。


それはよかったですね。海の日(17日)が誕生日だったとのことですが、おめでとうございます。その祝いも兼ねて自宅回帰でしたね。完全復調までにもう少し?お作、心情・真情が籠もっています。このままで十分ですね。最後は「かみしめる」と平仮名でもいいですが(直前の「幸」と「噛」の二つの漢字がくっついて、ちょっと読みにくいから)。

様々な配慮を

| コメント(0) | トラックバック(0)
「次の逢如何にありなむ友らとの年ごと減りゆく同窓会に」(比叡2006/07/17

今年の同窓会は5名参加者が減りました。来年はどうなるのかなとの思いです。2句目は自信がありませんがこれでよろしいでしょうか。宜しくお願いします。


同窓会は毎年開かれるのですか?結構マメなのですね。が、年々参加者の数が減っていくのは寂しいですね。お歳のこともあり、隔年にされたら増えるというものでもないでしょうし。。。

添削:
「次の逢ひは如何にあらせむ参加者の年ごと減りゆく同窓会よ」(比叡)

添削有り難う御座いました。次の2点教えてください。私は旧かなですが?。
?逢のひは必要ですか。
?「あらせむ」という表現の意味を教えてください。「ありなむ」は間違いでしょうか?


旧仮名短歌か新仮名短歌か(あるいは口語新仮名短歌か)は作者によってではなく、歌ごとで判断されますね。同一作者が両方を作ることはいくらでも例があります。(内容によって使い分けるのです。)今回のお作は旧仮名ですね。また、「逢」は、確かに旧仮名では「逢」でも「逢ひ」でもいいのでしょうが、読みづらいと判断して「ひ」を付けました。特に元歌のように直ぐあとに「如何」という漢字が来る場合は「ひ」を入れることで外見上もすっきりしますね。「逢如何」で一つの成語かと悩む読者も出るかもしれません。さらに「如何にあらせむ」は「どのようにあらしめようか」という意味ですね。つまり「どんな会にしよう」の意味です。「如何になりなむ」も考えましたが、これですと「どうなることだろう」(開催できるのだろうか、を含意)という意味ですので、ご真意から外れると思った次第。元歌の「如何にありなむ」は文法的にはミスではないにしても、意味があいまいになりますね。「ありなむ」は「きっとあることだろう」あるいは「きっとあらせたいものだ」の意味ですから。「どのようにきっとあることだろう」「どのようにきっとあらせたいものだ」では変ですね?
「好きなものここにいくつか揃ってる東京の夜はあつく更けゆく」 (choco)

夫と長男に会いに、彼の出張のついでに彼を追いかけて上京し、長男の仕事が終わるのを待って会ってきました。長男はそれなりに一人で生活してはいるものの、アルバイトで生計を立てている。苦しい彼の生活を垣間見て、心穏やかにあらずも、再会できて幸せでした。私の好きな池袋で会いました。三人で台湾料理を食べました。今日は潮留で岡本太郎の壁画を見てきました。


長男さんは学生か研修生でしたね?メールや電話もいいですが、こうしてたまには直に会われることがお互いに効果的ですね。「潮留で岡本太郎の壁画を見てきました」とのことですが、あの巨大な壁画が新発見なんて本当でしょうかね。隠しようがないと思われますが・・・。お作で「あつく」は「暑く」且つ「熱く」ですね。それで平仮名にされた・・・

「好きなものここにいくつか揃っている東京の夜はあつく更けゆく」(choco)

咲き満つる

| コメント(0) | トラックバック(0)

「ハナミズキ咲き満つ路をそぞろゆくポトマック河畔のサクラを胸に」(がんてつ)

アメリカから贈られたというハナミズキですが、今では並木としてアチコチの路で美しい花を魅せてくれています。一方アメリカへ渡ったサクラも、ポトマック河畔に大きく育って人々を魅了しているそうです。双方が戦争という時代を過ごしましたので、抜かれたり折られたりの妨害にあったようですが、それを乗り越えていまが在る事を後になって知りました。

ハナミズキは我が家の前の歩道にも並木をなしています。(今が花どきですね。)歩道を整備する時に前立っていた立派な樹木が伐り倒され、代わってナハミズキが植えられました。以前は夏など街灯を受けて夜中でもセミが盛んに鳴いたのはその樹木でした。セミがぱったりと来なくなりました。動かない、大人しいからと、人は樹木をぞんざいに扱うものですね。ここで言われている桜対ハナミズキのお話は興味深いですね。ポトマック河畔の桜もすっかりワシントンに溶け込みましたが。お作で「咲き満つ」ですと終止形ですのでここで一旦切れてしまいます。ここは次の「路」という体言にかかるわけですので連体形「咲き満つる」とせねばなりません。字余りになるからといって、文法ミスを犯すのはもっとまずいですね。もちろん、この一首、内容的にも奥行きがあっていいですね。「ハナミズキ」との対比(と米国であること)でわざと「サクラ」と片仮名にされたり、工夫をされていますし。

添削:
「ハナミズキ咲き満つる路をそぞろゆくポトマック河畔のサクラ思ひつつ」(がんてつ)

「ごとく」「如く」

| コメント(0) | トラックバック(0)
「鉢植えの菊は日毎に膨らみて弾けるごとく今朝咲き始む」(すみえさん2002年11月4日

丹精こめられた花が咲くのは大いなる喜びですね。ここでは菊ですが。その喜びが素直に表現されたいい歌です。ただ、「は」は限定するニュアンスがあります。ここは「が」がよりふさわしいように思われます。「ごとく」は少しきついようですが、漢字で「如く」とするよりはいいですし、ここは毅然として(弾けるように)咲いた感じを出したいわけですから、「やうに」よりも「ごとく」がいいですね。そこまで考えられたとすれば、大したものです。

添削
「鉢植えの菊が日毎に膨らみて弾けるごとく今朝咲き始む」 (すみえ)
「名にしおふたそがれ時の酔芙蓉早やほろ酔いの紅(くれなゐ)さして」(槿花さん2002年9月29日

この酔芙蓉の微妙な色の変化は不思議ですね。初句「名にしおふ」はどうでしょう。かなり古韻ですが、、、槿花さんふうということでいいかな。それでも少し大げさ?「酔い」は「酔ひ」ですね。「早や」は「早」ですが、ここは平仮名で「はや」がいいですし、「さして」は漢字で「差して」がいいですね。これらは読み易さとか、活字を見たときの感じとかから言っていることです。

添削
「黄昏の庭に灯ともし酔芙蓉ほろ酔ふさまに紅(くれなゐ)差すなり」(槿花)

カテゴリ

アーカイブ

Powered by Movable Type 5.14-ja