語の斡旋の最近のブログ記事

助詞について

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「イマドキの女子高生となった子がまだ抱いて寝るくまのくんちゃん」(そよこ)
高校生になった娘はおしゃれに気を遣うようになり、一層生意気にもなり、それなりに「イマドキの女子高生」的な外見になってきました。ですが、眠る時には幼い頃から一緒のクマのぬいぐるみ「くんちゃん」を必ず横に並べているのです(笑)。ずいぶん大人びてきたようでいて、幼かったころがそこにまだ垣間見える気がしました。親としては、子どもの成長を楽しみに思いながらも、幼い日に対する感慨もあるもので、そのあたりを表したいと思いました。「女子高生「と」なった」としましたが、「女子高生「に」なった」と迷いました。もし大切な違いがあればそのあたりもご指導いただければありがたいです。

「と」も「に」もほとんど同じでしょうが、語感違い(やや固い「と」、柔らかい「に」)があり、また詳細には、「女子高生となった」ですと、「女子高生というものになった」ということでしょう。ちょっと改まった感じが強いですね。一方、「女子高生になった」ですと、「女子高生というもの(世にそう言われる集団)に仲間入りした」といったニュアンスですね。「に」には、何かの中へ入っていく、というニュアンスがありますね。例えば、「街へ行く」と「街に行く」を比べて下さい。「へ」ですと、街の外から街に向かって近付いていく感じ、「に」ですと街の中へ入っていく感じ。もちろん、どちらも結果的には街の中に居るわけですが。。。日本語固有の微妙さです。さて、お作の場合は、以上を勘案しますと、やはり「と」がいいようですね。それにしてもかわいらしいお嬢さんです。

「イマドキの女子高生となった娘(こ)がまだ抱いて寝る熊のくんちゃん」(そよこ)

直接的過ぎる表現?

 「騒がしき百花の春をよそに見て茶室に貝母の静けさを挿す」(宋見)
春の花が一斉に咲き始めました。桜の花の開花も近く、花見に騒がしい頃となりました。 でも茶室の花は「バイモ」の花の、控えめな静けさが好きで、この季節の花として大切に育てています。


貝母(バイモ)は、日本流には「編み笠百合」というのだそうですね。その姿からなのでしょう。ひっそりと控えめな花。 これも栽培しておられるのですね。さすがに茶のお家。茶道はお茶を嗜むだけではないこと、学ばせて戴いています。上のお作、 特に後半が秀逸ですね。初句の「騒がしき」は、このお作としては直接的過ぎる表現に思えます

添削:
華やかな百花の春を余所(よそ) にして茶室に貝母の静けさを挿す」(宋見)

却って訴える力がそがれる?

  「ゆで卵をつるりと剥きゐる昼下り芯まで砕けたる心抱きつつ」(麻里子)
土日は元気だったのですが(添削していただくころにはまた元気になっているかもしれませんが) 。ゆで卵は,殻を割るとなぜこんなにつるりとしたきれいなものが出てくるのか,(感情的に)不思議でなりません。。。 よろしくお願いいたします。

おっしゃる通り、茹で卵は殻を剥ぐとつるりとした白身が現われます。 中に栄養たっぷりの黄身を包んで。。。不思議な充実振りではあります。
添削(改作):
ゆで卵をつるりと剥きゐる昼下り中身は芯まで砕けゐるやも」(麻里子)

すみません,私の言葉足らずだったのだと思いますが,ゆで卵は普通にきれいにできていました。 それを剥いている私の心のほうが芯まで砕けているのに と言いたかったのですが...。

添削歌についてですが、表面がつるりとしていて、中身(黄身) が砕けているということは実際上あり得ませんね。それを敢えて「中身は芯まで砕けゐるやも」と言っているのは、 つまり作者の心奥の投影を詠んでいるのですね。「芯まで砕けたる心抱きつつ」 ではあまりに赤裸々、直裁的で、却って訴える力がそがれています。

友らとの尽きないお喋り楽しくて冬のひと日の早きことあり」(いろは)
友とのお喋りは、あっという間に時間が過ぎてしまいます。“あり”の使い方はこれでいいのでしょうか。宜しくお願いいたします。

相手が友人かどうかに拘わらず、お喋りというものは時間を食うもののようですね。「あり」の使い方はこれでいいか、とのお尋ねですが、どういう意味で「あり」を使われたか、ですね。それによって、いいとも悪いともなります。

添削:
友らとの尽きないお喋り楽しくて冬のひと日がたちまち暮れる」(いろは)

添削有難うございました。「あり」ですが、思っていた以上に早く過ぎてしまった。冬のひと日が早いことであった。という意味で使ってみました。うまく、表現できませんが、よろしくお願い致します。

元歌での「あり」の使い方は、「思っていた以上に早く過ぎてしまった。冬のひと日が早いことであった。という意味」とのことですが、これを聞いても、曖昧なのですね。一般的な受け取り方として、秋さえ短日と言われるわけですから、まして冬の昼間は短いわけですね。ですから、冬のひと日の経つのが早いと、わざわざ言われましても、どうでしょうね。それで、添削のようにしてみたのです。

備品庫でコントのようなくしゃみして綺麗な女(ひと)がすまして出てくる」(劫)
フロアの真ん中に備品庫があります。そこから変なくしゃみが聞こえて、みんなそちらを見ましたが誰が中にいるのかはわかりません。少しして、そんなコントみたいなくしゃみをしそうにない人が出てきました。本人はすまし顔で。

「コントのようなくしゃみ」と言われるのはどんなくしゃみなのでしょうか?添え書きに「変なくしゃみ」とありますが。滑稽味のあるくしゃみ?「コント」には軽妙さと風刺がありますね?

添削:
備品庫で素っ頓狂なくしゃみして綺麗な女(ひと)が澄まして出てくる」(劫)

「元旦」の「旦」

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「海越えてとどく年賀の声ちかし心はずます元旦の朝」(とよ子)
留学中の孫娘から、元日の朝早く年賀の電話がありました。すぐ近くにいるようでした、昔では考えられない事ですね。老人二人、目を細めた新年の朝でした。よろしくお願いします。

国際電話ですね。孫娘さんと話されたとのことですが、おっしゃるように直ぐ隣に居るように聞こえますね。なお、「元旦」の「旦」には「朝」の意味があります。

添削:
「海越えて女孫(めまご)の年賀の声近し心はずます元日の朝」(とよ子)

「輩と少し離れた中洲にてゆりかもめ一羽夕日に染まる」(紗柚)
水鳥を見るのが好きです。この時期は特にユリカモメ。冬空を飛んでいる姿もいいのですが川の面で休んでいる姿もかわいらしいです。夕方,川の真ん中に群れが羽を休めていました。飛んでいたユリカモメも次から次へと仲間の近くに舞い降ります。そんな中一羽だけが離れたところにある中州に降り立ちました。鳥が何を考えているかは想像するしかないですが、見方によってはぽつねんと寂しそうでもあり、逆に仲間から離れてほっと孤独を楽しんでいるようにも思えました。ここで「輩」(ともがら)という語は変でしょうか。よろしくお願いします。

お宅の近くの川にはユリカモメが飛来するのですね。一羽ポツンと離れてたたずんでいたというカモメは異端者?いやいや、たまたまの拍子でそこ(中州)へ降り立ったのでしょうね。他の仲間が視界にある限り大丈夫でしょう。それでも、人が見れば、紗柚さんが言われるようにも見えますね。「輩」は、ちょっと語感が強いし、どうでしょうねぇ。ともかく、きれいな光景ですね。

添削:
「仲間から少し離れて中洲の上ゆりかもめ一羽夕日に染まる」(紗柚)

類似語の選択

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「寒中に淡い陽射しを受けて立つ冬枯れの野に光るねこやなぎ」(ポエム)
1月6日が寒の入りだtったそうですが、成人式の前日は強い風雪で大変でした。が、幸いに式当日は晴れて本当に良かったですね(うちの娘は成人式はとうに済みましたが・・)。早速、散歩に出掛けました。・・・【日差し」【陽射し】のどちらを使えばいいのでしょう?それと【吾】【我】の使い分けもよくわかりません。よろしくご指導ください。

類似語の選択は、(語の音感も含めて)短歌の中での感じから行いますね。「淡い」なら「陽射し」では強そうですね。「日差し」がいいでしょう。「我」は「われ」、「我が」なら「わ」で、「わが」ですね。「吾」は「われ」とも読みますが、ここでは「あ」と読む方を薦めています。これにより「吾」は「我」かの選択が出来ましょう。あとは短歌の中での語の感じですね。ですから、短歌ごとに考えるしかありません。新仮名短歌なら「私」「わたし」「わたくし」、男性なら「僕」「ぼく」「俺」も選択肢に入ります。お作で、語順がよくないですね。あるいは「立つ」を「立ち」にするか、です。

添削:
「寒中に淡い日差しを受けて光り冬枯れの野に立つねこやなぎ」(ポエム)

「雨の中友が両手に抱えこし紫陽花の藍朱色のダリア」(アン2006/07/15

こしの使い方間違っていませんか。(T_T)。『過去(回想)の助動詞「き」(終止形)は、一般的には動詞の連用形につきますが(「きし」はその例)、「き」の連体形「し」と已然形「しか」は、カ変動詞「来」には未然形「こ」にも付くのです。「こし」「こしかば」。なお、終止形「き」はカ変動詞「来」には全くつかないですね。』のところを何度も読んではみたのですが。

紫陽花の花ダリアの赤が鮮やかに息づいているようでした


「こし」はこれでいいのですが(ただし「抱へこし」ですが)、ここは第三句で一旦閉じた方がいいようですね。下二句、普通なら「藍の紫陽花朱色のダリア」なのでしょうが、これでは二物の単純な直列で、語の流れが軽過ぎますね。それで「紫陽花の藍朱色のダリア」とされたのでしょう。あるいは「紫陽花の藍ダリアの朱色」でもいいようです。花そのものではなく、花の色を抱え持ってきた、とすることで、変化が出ますね。

添削:
「雨の中友は両手に抱へ来ぬ紫陽花の藍朱色のダリア」(アン)
添削?2:
「雨の中友は両手に抱へ来ぬ紫陽花の藍ダリアの朱色」(アン)

語の斡旋

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「花筏冬に入りてもそのままに小瓶の小枝三月目に入る」  (思ひ草さん2004年1月6日)

花筏の小さな枝を頂きまして、それを小さな瓶に差しておりました。 葉っぱの真中あたりに、小さな筏が1そうのっているような、なんとも あいらしく不思議な造形です。 もうすっかり水を揚げてはいないのですが、そのままです。 何時の間にか忘れていたのですが、又よく見てみまると、もう二月以上 経ってるのでした。

花筏は、花で飾った筏にも、川面に散って流れて行く桜の花びらの群れ、ないし花びら一つ一つについても言いますね。ここの花筏は木花としての花筏ですね。葉に乗っかるように花が咲く(そして実が生る)のでこの名があるようですが。(葉の方を筏に見立てての名前で、思ひ草さんの上の添え書きとはちょっと違うようです。)  お歌、珍しく語の流れ、斡旋が乱れていますね。

添削:
「花筏の小枝を瓶に挿ししまま冬に入りはや三月目(みつきめ)に入る」(思ひ草さん)

葉っぱが筏で実のところを船頭さんに見立てているのでしょうか。 葉っぱが川面のように思え、勘違いしておりました。 質問です。 「語の斡旋」について、何となくわかるようでよくわかりません。

語の流れ、語の音感への考慮、語の選び方、語の配置の仕方、などなど、作歌における言葉の使い方一般を「語の斡旋」と言います。

どうもありがとう御座いました。 「語の斡旋」を考慮することは、作歌そのものでもあるのですね。

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