批判的に見直すの最近のブログ記事

言いたいことが伝わるように

| コメント(0)

「中空に紋白蝶は幾重もの羽ばたきとなり耀ひにけり」(むぎぶどう)
目の前の少し高みを紋白蝶が飛んでいました。羽ばたきは日の光を受けて残像となり、 美しく輝いて見えました。

美しく詠もうとされている姿勢は分かります。しかし、お作で「幾重もの羽ばたきとなり」は、この歌の作者であるむぎぶどうさんにだけ 「羽ばたきは日の光を受けて残像とな」って幾重にも見えるのだと理解出来ます。一般には、読者は「幾重もの羽ばたきとなり」は、 何匹も紋白蝶が飛んでいるのだと解しましょう。それでもいいわけですが、「残像」ゆえの「幾重もの羽ばたき」 であることを伝えたいのであれば、そのように詠わねばならないでしょう。歌は、詠むだけではなく、 それを自ら客観的に読んでみて(現場に居合わせない一般の者の立場で読んでみて) 言いたいことが伝わっているのかを確かめることが必要です。作歌に慣れれば、そうしたチェックを自然にしつつ、 歌を詠むようになるものですが。

添削:
日光(ひかげ)受け羽ばたく紋白蝶(もんしろ) が幾重もの残像成しつつ耀ひてをり」(むぎぶどう)

友らとの尽きないお喋り楽しくて冬のひと日の早きことあり」(いろは)
友とのお喋りは、あっという間に時間が過ぎてしまいます。“あり”の使い方はこれでいいのでしょうか。宜しくお願いいたします。

相手が友人かどうかに拘わらず、お喋りというものは時間を食うもののようですね。「あり」の使い方はこれでいいか、とのお尋ねですが、どういう意味で「あり」を使われたか、ですね。それによって、いいとも悪いともなります。

添削:
友らとの尽きないお喋り楽しくて冬のひと日がたちまち暮れる」(いろは)

添削有難うございました。「あり」ですが、思っていた以上に早く過ぎてしまった。冬のひと日が早いことであった。という意味で使ってみました。うまく、表現できませんが、よろしくお願い致します。

元歌での「あり」の使い方は、「思っていた以上に早く過ぎてしまった。冬のひと日が早いことであった。という意味」とのことですが、これを聞いても、曖昧なのですね。一般的な受け取り方として、秋さえ短日と言われるわけですから、まして冬の昼間は短いわけですね。ですから、冬のひと日の経つのが早いと、わざわざ言われましても、どうでしょうね。それで、添削のようにしてみたのです。

推敲について

| コメント(0) | トラックバック(0)

「拍手受けご褒美もらうセイウチの甘えし顔もまた花を添え」 (桐子さん2001年7月13日

ご褒美を貰うのなら、甘えるよりも喜ぶのでは?このご褒美は餌の魚かなんかですね。また、このセイウチは美人か美少女セイウチですかね。結句の「花を添え」からそうなりますね。いえ、そんなことは分からない、雄かもしれない、ですって?おやおや。??と、このように、一旦歌にしたものを、自分で批判的に見直すといいと思います。それにより改良するのです。

改作
「曲芸を終えたセイウチ拍手受けご褒美もらうもかわいい仕草」 (桐子)


  確かに語法的、文法的におかしいと思ってもなかなか先に進めず、
  結局、そのまま元歌で添削をお願いしてしまいます。
  まだ、勉強不足ということもありまして難しさを痛感しております。
  でも、詠むことは楽しくこれからも続けたいと思いますので
  よろしくお願いします。

ははは。誰でもはじめの内はそうですよ。あおぎりも、もう40年も前のことですが、「コスモス」という短歌同人グループへ参加した当初は、さんざん添削されたものです。しばしば「これは添削ではなく、改作であり、しかもこちらが詠みたい内容と全然違う」といったことも多く、ちょっと不興に思ったこともありましたが、のちのち、あれは「歌の形」を教えられていたのだと気づき、納得したものです。先人の歌、簡単に詠まれているようで、その実は相当な経験が込められているものです。慣れてくれば、すいすいと出来るようになるものです。(歌材によっては、どれほど鍛錬した者でも苦吟に陥ることがありますが。)但し、推敲は欠かせません。
「楽しい」から歌を詠む、これが基本ですから、それでいいと思います。これからもどんどん投稿して下さい

カテゴリ

アーカイブ

Powered by Movable Type 5.14-ja