1.このサイトでの短歌添削の姿勢の最近のブログ記事

「大人びて吾(わ)を諭す子にフ、と笑むは「あーちゃん」と纏うを抱きしめた日々」(すずむし)
今は二人とも大人びて何かと私を諭す子供たち。「うん、そうだね」「わかった」「ごめん」など あいづちを打ちながら、内心幼かった頃のことを、写真を見ながら思い出し・・・嬉しいような、悔しいような・・・。

子供たちの成長は早いですからねぇ。。。「老いては子に従い・・」とは言いますが、諭すように言われては、嬉しいだけではなく、悔しくもありますね。
添削: 「「かーちゃん」と纏はりくるを抱きしめし子らなり今は吾を諭し言ふ」(すずむし)

先生!子供たちは誰も教えないのに、お母さんといえない頃「あーちゃん」と呼んだのです。二人目もそうでした。「あーちゃん」では駄目ですか?

「あーちゃん」は「かーちゃん」のミスタイプかと思ったのです。それと、「あーちゃん」とされると大抵の人はそう思うでしょうね。もちろん、すずむしさんとしては「あーちゃん」とされたいわけですから、そうされては?それに、元々添削は絶対こうでなければいけません、という種類のものではありません。こうされたら(原作より)よくなるでしょう、ご参考に、というものです。唯一絶対の添削などありません。

雪あがりミントの緑鮮やかに風邪ひき吾子に摘みてハーブティー (遊起さん 2003年1月4日

ハーブ茶は風邪にもいいわけですね。子供のころ風邪を引いたときなどは何かの葉を煎じた熱いお茶を大量に飲まされたことを思い出します。発汗を促すためだったと記憶します。あれも一種のハーブ茶だったのでしょう。

添削:
「雪あがりミントの緑鮮(あたら)しく摘みて煎じむ風邪の子のため」 (遊起)


いつも拙作を丁寧に添削していただき感謝しています。何か歌の体を成していないのではないかと、恥ずかしい限りです。良い本があれば紹介していただけないでしょうか。

短歌入門書はたくさんあります。ちょっとした規模の書店に行かれれば書棚に並べられているはずです。ただ、そうした本を読まれるのも一法でしょうが、このHPの「短歌教室」や歌集を読まれるのが、さしあたり手っ取り早いと思いますよ。まあ、沢山作って、慣れる以外ないのでしょうけれど。また、ひとの歌集を沢山読むのも役立ちますね。歌の節調が知らないうちに身に着くものです。

毎日わけも分からず始めた短歌に添削して下さり有難うございます。勉強の本について質問しましたが、あおぎりさんの今までの歌を読ましていただいていますが、文語表現や難しい漢字の読み方に苦労しています。ルビがほしいところです。私の添削が文語調に変わっているのは、理由があるのですか。昨日のハーブティーは、ハーブティーの言葉を残してほしかったのですが、、?(題にしましたので)不躾をお許し下さい。


歌の内容によっては、口語の方がいい場合もありますが、もともと簡潔表現を旨とする短歌は文語に向いた詩形です。それが現代でも文語短歌が盛んに作られている主たる理由だろうと思います。書道をお遣りになり、良寛さんが好きと仰る遊起さんの歌は、口語より文語に向いたものが多いので、つい添削も文語となるわけです。もちろん、口語短歌も捨てたものではありません。しかし、発想から口語的でないと、つまり発想が文語的なのは、なかなかうまく口語で収められないのです。折角の内容が、悪く言えばどうしても間が抜けたような感じになってしまうのです。このあたりは今後続けられることでお分かり頂けるものと思います。
 わたしも、短歌を作り始めた若いころ、ある結社の同人誌に投稿すると、こちらの考えたものとは違うものに添削されて載せられていて、決していい気持ちではなかった時期がありました。特に、気に入った語句を入れた歌が全然別の言葉で添削されている時などは、勝手にこんなふうに変えてしまって、と不快でさえありました。(今時なぜ文語か、とも思いましたよ。)しかし、
後々思えば、添削担当の先輩方は、添削した内容は内容として、歌の形を示して呉れていたのだと合点したものです。

 そうした先輩方には及ばずながら、この短歌添削BBSではわたしなりのポリシーで添削させて頂いている次第です。もちろん、ご参考として、ということです。ただ、添削には誠意を尽くしておりますので、その点は誤解なきようにお願い致します。
 自分は口語でいく、とお決めになるのも、一つの姿勢ですね。そのときは、せめて一首の中では口語(新かな使い)で統一して下さい。(意識的に、ある種の効果を狙って、部分的に文語的表現や旧仮名遣いをされることはいいでしょうが。)
 実は、此の種のことは、これまで何度も書かせて頂いたことなのです。新たにご投稿される方には、また改めて申し上げることになりますが。
 書に馴染むのは、やはり文語正統派短歌だとは思いますよ。(良寛を読まれるのであれば、文語も気にならないと思いますが。)
 とにかく、色々ご疑問も起こりましょうが、ドンドンご投稿下さい。その中で疑問にもお答え出来ましょう。

「大好きなハナミズキ見つけ思わず曲がる自転車 春追っかけて」(なっちゃん2002年9月21日

5?7?5?7?7という定型をもつ短歌と一口に言っても実に様々です。古歌然としたものから茂吉流近代短歌、柊ニや佐太郎風現代短歌、また啄木流口語的(あくまでも口語的であって、仮名遣いは旧仮名)短歌邦雄風前衛短歌、そして比較的最近の俵万智流口語短歌、果ては定型さえ捨てた非定型(ないし自由律)口語短歌まであります。上のお作は俵万智流口語短歌に近いと言えましょう。とても50代とは思えない若々しいお歌です。俵万智流口語短歌は一世を風靡しましたから、大変多くの人達がその影響を受けました。また触発されて短歌を始めた人も多いようです。その状況はかなり徹底していて、あたかも俵万智流でなければ短歌ではない、みたいな雰囲気さえ創られました。それは今に至るも一部に続いているようです。ここではそんなことには無関係に、つまり形式(上に述べた何々流とかだれだれ風とか)にはそれほど拘らずに、人を感動させる、日本語の美しさを最大限に、これだけを作歌の目標に、添削をしています。たまには冒険的な作歌もよしとしていますが。

 これからどんな短歌を目指されるのか、まずそれを決めないといけませんね。
 さて、お作ですが、かなりご自分だけ分かっている、ふうな面がありませんか。特に「思わず曲がる自転車」の句はそうです。「思わず(ハナミズキの方へ)自転車のハンドルをきる」ことなのでしょうが。結句「春追っかけて」はハナミズキに春を仮託したのですね。しかし、ハナミズキは別に逃げるわけではないでしょうに、「追っかけて」とは?

添削:
「あ、大好きなハナミズキだ!と自転車の方向急転し<春>へと突進」(なっちゃん)
(これ、非定型のようで、それなりのリズムがありますね。)

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