5.文法などについての最近のブログ記事

形容詞

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 「ありがたき二百三十七枚賀状受く恩師の近況丁寧に読む」(未歩)
 

添削:
「ありがたし、二百三十七枚の賀状受く。恩師の近況は丁寧に読む」(未歩)

お言葉を有り難うございます。お年賀状は今年頂いた総数の事です。申しわけございませんが、「ありがたき ・ し」のご指導をお願い致します。

「ありがたき」は形容詞「ありがたし」の連体形ですね。ですから、「ありがたき二百三十七枚の賀状」と続けますと、「ありがたき」は直接「二百三十七枚の賀状」を形容することになります。ですから、有り難い237枚の賀状、それを受け取った、とれます。「ありがたし」ですと、ここで一旦切れることになります。それで添削歌のように初句を「、」で区切りました。この「、」はなくてもいいのですが、ここで小休止することを明示するために入れました。

口語の「植える」

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「鉢植ゑの花木を大方地に植ゑり古里を出るを決めし朝に」(広)
すっかり古里に適応してましたから、離れづらいですね。

4年が経過し、故郷の生活に慣れられたところを、思い切って決断されましたねぇ。お作で示されている行為は、また戻って来ることを想定されたものなのでしょうけれど。。。ところで、口語の「植える」は文語では「植う」で、<植ゑ(ず)、植ゑ(て)、植う、植うる(時)、植うれ(ば)、植ゑよ>と変化するワ行の下二段活用(未然形「植ゑ」の「ゑ」が e-音です)の動詞です。下二段活用の動詞は、完了(過去)を表す「り」はとりません。。。「けり」、「たり」なら、その連用形に付きますね。

(旧仮名):
「鉢植の花木をおほかた地に植ゑけり古里出づるを決めし朝に」(広)

他動詞と自動詞

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「冬の陽の真黒き雲に沈むれば海鳥なきて激しく飛びかう」(がんこきよ)
先日、ある漁港に写真を撮りに行ったとき、夕日が黒雲に隠れて沈んだ時に、海鳥が騒いで飛び回っていました。その情景を詠ってみました。添削宜しくお願いします。また「沈むれば」と言う表現が文法上正しいのか・・・ご教授願います。

何か劇的な情景のようですね。海鳥たちにも、太陽が雲に隠れて暗くなることは不気味なのでしょうか。なお、終止形で考えて、口語の「沈む」は、文語でも同様に「沈む」ですが、未然形が「沈ま」で、この「ま」の発音が ma で a-音を取りますね。そのときは四段活用(マ行)の動詞と解ります。すると、その変化は<沈ま(ず)、沈み(て)、沈む、沈む(時)、沈め(ば)、沈め>(それぞれ、未然形、連用形、終止形、連体形、已然形、命令形)となりますね。ですから、「沈むれば」とはならず「沈めば」ですね。自ら読んでみて変だと思われたので、質問されたのでしょう。つまり、文法は言葉遣いの習慣をまとめたもの、ということが、そのことからも解ります。なお、ついでに書きますが、以上の「沈む」は自動詞(述べる主体自体の行為)です。一方、同類の動詞の他動詞(他に働き掛ける行為)に口語なら「沈める」があります。(つまり、何かを「沈める」(他動詞)わけですね。)これの文語は「沈む」で、終止形では自動詞と同形です。これは<沈め(ず)、沈め(て)、沈む、沈むる(時)、沈むれ(ば)、沈めよ>と変化しますね。未然形が「沈め」で、「め」の発音が me で、e-音です。この時は下二段活用(マ行)の動詞です。そして、已然形は「沈むれ(ば)」です。お作ではこれを使われた形ですが、ただお作では「冬の日」が雲に沈むわけですから、自動詞でないとまずいわけです。つまり、自動詞であるべきところに他動詞を使われたことが、読んで変な感じを与える理由です。

添削:
「冬の日の真黒き雲に沈みゆき海鳥さわぎて激しく飛びかふ」(がんこきよ)

助詞について

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「イマドキの女子高生となった子がまだ抱いて寝るくまのくんちゃん」(そよこ)
高校生になった娘はおしゃれに気を遣うようになり、一層生意気にもなり、それなりに「イマドキの女子高生」的な外見になってきました。ですが、眠る時には幼い頃から一緒のクマのぬいぐるみ「くんちゃん」を必ず横に並べているのです(笑)。ずいぶん大人びてきたようでいて、幼かったころがそこにまだ垣間見える気がしました。親としては、子どもの成長を楽しみに思いながらも、幼い日に対する感慨もあるもので、そのあたりを表したいと思いました。「女子高生「と」なった」としましたが、「女子高生「に」なった」と迷いました。もし大切な違いがあればそのあたりもご指導いただければありがたいです。

「と」も「に」もほとんど同じでしょうが、語感違い(やや固い「と」、柔らかい「に」)があり、また詳細には、「女子高生となった」ですと、「女子高生というものになった」ということでしょう。ちょっと改まった感じが強いですね。一方、「女子高生になった」ですと、「女子高生というもの(世にそう言われる集団)に仲間入りした」といったニュアンスですね。「に」には、何かの中へ入っていく、というニュアンスがありますね。例えば、「街へ行く」と「街に行く」を比べて下さい。「へ」ですと、街の外から街に向かって近付いていく感じ、「に」ですと街の中へ入っていく感じ。もちろん、どちらも結果的には街の中に居るわけですが。。。日本語固有の微妙さです。さて、お作の場合は、以上を勘案しますと、やはり「と」がいいようですね。それにしてもかわいらしいお嬢さんです。

「イマドキの女子高生となった娘(こ)がまだ抱いて寝る熊のくんちゃん」(そよこ)

「降る雨に白い牡丹の大輪がなべて萎れり花びらの垂れ」(アン)
春のひかりをふりこぼしていた牡丹が...残念です。

花は雨に弱いですね。それでも、天気が回復して日が差すと、元気を回復します。雨天が長引くと、どうしようもありませんが。。。お作で、「萎れり」は変ですね?「萎る」は下二段活用の動詞ですから(未然形が「萎れ」(siore)で、語尾にe音を含む)、完了の助動詞「り」は取りません。また「白き」ではなく「白い」とされるのは意識的でしょうか?

添削:
「降る雨に牡丹の白き大輪の花の萎れて花弁垂れゐる」(アン)

動詞の使い方

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「飽食と引き換えに日々失くせしは体温感ず人の行き来よ」(蓮)
日本社会は経済的に豊かになりましたが それと引き換えに曲解した個人主義が蔓延したり、 日本人の美徳や価値観が失われていっているようで、 義理や人情やそういう人のぬくもりは私が幼かった貧乏な日本にはまだあったような気がします。「失くせし」が文法的によく分かりません。 よろしくお願いいたします。

物が溢れ飽食に慣れることの見返りに失ったものは多いでしょうね。「失(無)くす」は四段活用の動詞ですから、「し」は連用形「失くし」 に付き、「失くしし」ですね。ただ、それですと過去形になり、「日々」に繋がりません。「体温感ず人の行き来」の繋がりが変では? ここは連体形「感ずる」ですね。

添削:
飽食と引き換へに日々なくせるは体温感ずる人らの行き来」(蓮)

ヤ行の動詞

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「人の世に憂ひなければ歌はなく心なくして人は絶へなむ」(劫)
 大袈裟な物言いかもしれませんが、世の中に「憂」というか「負」 があるからこそ、美しいものが感じられ、芸術が生まれるのではないかと思います。もちろん、 何事もない全くの平穏な日日は素晴らしいのかもしれません。ただ、そんな世の中を想像したとき、人間が心を失ってしまった世界、 もしくは人間のいない草木や動物たちだけの世界に思えてしまうのです。

何事にも表と裏がある、という事ですね。裏があって表がある。その通りでしょうね。その論で行けば、 戦争があっての平和ということにもなりますが・・・。お作で「心なくして」は「心がない状態で」ということではなく「心失(なく)して」 「心無くして」の意味でしょうね?なお、口語の「絶える」は文語では「絶ゆ」で、ヤ行の動詞です。ですから、未然形、 連用形の語尾は口語と同じ「え」です、「へ」ではなく。(「へ」ですと、ハ行の動詞ということになるのです。)

添削(旧仮名):
人の世に憂ひなければ歌はなく心を無くして人は絶えなむ」(劫)

残らむ 残るらん

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白木蓮(はくれん)の太古の花よ わが内の花もとこしへに咲(ひら)き残らむ」(麻里子)
白木蓮シリーズはこれでおしまいです。無理の多い歌を御指導くださいまして,どうもありがとうございました。木蓮は地球上で最古の花木で,今のような姿をとどめる一億年以上前の化石が発見されているそうです。個体としては落ちやすい花としながら「とこしへに」咲くというのはおかしいでしょうか。また,「(未来の時点で)咲き残っていることであろう」というのは,「残る」という語自体に存続の意味が含まれるので,単純に「残らむ」でいいのでしょうか。 御指導よろしくお願いいたします。

「木蓮は地球上で最古の花木で,今のような姿をとどめる一億年以上前の化石が発見されているそうです」とのことですが、驚きですね。一億年の昔でも、今と同様な花を咲かせていたのでしょうか。もしそうなら、今後少なくとも一億年は、今と同様な花を咲かせることでしょう。。。そのころ、人間はもう地上から消えているのでしょうけれど。一億年という長い年月のスパンを考えると、何度も気象の激変がありますね。最近でも地球上はずいぶんキナ臭くなってきているし、人類はとても一億年なんて続きそうにありません。来世紀さえ怪しい・・・。(95%の確率で、人類の生存は今後150万年未満、という科学理論があります。これとて十分永くはありますが。)なお、「個体としては落ちやすい花としながら「とこしへに」咲くというのはおかしいでしょうか」とのことですが、一向に構いません。「とこしへ」なのは、(花のひとつのことではなく)白木蓮として咲くことですからね。また「残らむ」でもいいですが、もう少し能動性を与えたいですね。また「とこしへ」という語には、継続の意味も含まれていますね。「残らむ」は語法としていいです。

添削:
白木蓮(はくれん)は太古より咲く。わが内の華もとこしへに咲き残るらん」(麻里子)

「残らむ」は「残る」の未然形に推量の助動詞「む」が付いた形。「残るらん」は「残る」の終止形に推量の助動詞「らん(らむ)」が付いた形。

漢字の使い方

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天城路に木々の芽吹きの音聴こゆ、たゆとう光りに山動き出す」(宋見)
光りあふれ木々に芽吹きの音を聴く天城は浅き春にざわめく」(宋見)
2月末、天城峠を越えると伊豆の海からの光りが鮮やかに山を照らし、木々の芽吹きの音が聴こえてくるように感じます。冬の眠りから山が目覚めのときを迎え、風にざわめいています。浅春の天城越えの楽しさです。

天城山と聞けば国定忠治を、また天城越えと聞けば同名の演歌(唄・石川さゆり)を連想しますが、そういうことがなくても名所なのですね。添え書き自体が大変詩的になっています。なお、前に別のところで書きましたが、「光り」の「り」は不要です。「光りて」とか、連用形として使う場合は別ですが、ここでは「ひかり」という、完全に普通名詞化した語ですので。「芽吹き」の「き」も、旧仮名短歌なら不要です。新仮名短歌なら、この語はまだ十分には普通名詞化していないと思われますから、普通「き」を残しますね。「芽吹き」。こういう時だけ口語新仮名でも旧仮名を転用するところなど、面白いですね。新仮名では「芽吹く」の連用形は「芽吹い(て)」で、語尾は「き」ではなく「い」ですから。動詞の連用形を名詞化して使う際に、口語にも旧仮名遣いが残っていますね。)なお、「聴こゆ」ですが、「きこゆ」は自然に聞えてくることですね。そういう場合は「聴」の字は適当ではないでしょうね。これは注意して聴く場合に使われる漢字ですから。「見る」と「観る」の関係のような。二首目でも「きく」とありますが、やはり自然に聞えてくることをそう言われたものですから、「聴」よりは「聞」でしょう。

添削:
天城路に木々の芽吹の音聞こゆ たゆとう光に山動き初む」(宋見)
添削:
光あふれ木々の芽吹きの音を聞く天城は早き春にざわめく」(宋見)

二首目は、注意して芽吹きの音を聞かれたものとすれば・・・
添削?2:
陽を浴びつつ木々の芽吹の音を聴く天城はすでにざわめきて春」(宋見)

梵焼の煙立ちゐる立木寺に来し方謝しつつ護符を焼べる
初詣でに去年のお札を納めに行きました。その時にお札を寺庭のおいて
感謝を込めて燃やしました。立木寺は厄避けの観音寺です。
宜しくお願いします。

「初詣でに去年のお札を納め」、それを焼くことを梵焼(ぼんせう)と言っておられますね。最後の「焼べる」の読みは「くべる」ですね。炉に薪をくべる、というときのそれ。ただ、「焼べる」(正しくは「焼ぶる」)ですと連体形ですね。ここを連体形にする必然性は感じられません。添削では語順を変えて、もっとすっきりさせます。

添削(改作):
立木寺に来し方謝しつつ去年(こぞ)の護符焼(く)べけり梵焼(ぼんせう)の煙立つ中へ」(比叡)

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