文語短歌・文語旧仮名遣いの最近のブログ記事

基本的には統一を

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添削:
「虚と実を行き来するやうな日暮らしを如何にとかせん 陽はまた昇る」(すずむし)
 
添削ありがとうございました。何気なく使っている文字の意味がはっきりしてきて、嬉しくなります。また、口語、文語が入り乱れてしまうのですが、統一した方がいいのでしょうか?口語はともかく、文語は恥ずかしいのですが、正直、いい加減です。不慣れで、耳にうろ覚えの状態で使ってしまうので・・・ 如何にとかせん と直していただきましたが、如何にとやせん ではおかしいでしょうか?

一首の中で文語と口語が入り乱れるのは見苦しいですね。どちらかに統一したいものです。お一人の人が、ある時は文語短歌を、またある時は口語短歌を詠まれることは構いまいませんが、一首としてはどちらかに統一をしましょう。文語に自信がなければ口語で通されるのも一法ですね。本格的に深く短歌をやられるおつもりなら、文語文法もある程度は勉強されるとよいでしょう。なお、「如何にとやせん」は、文法的にミスはありませんが、こうはあまり言わないですね。

一部だけが文語?

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「会いたくてただ会いたくて切なくて今会いたくて瞼とじらん」(蓮)
会いたくてもなかなか会う事が叶わない人を思い、 目を閉じて面影を追うことで切なさを紛らわそうと…、そういう恋心を詠んで見ました。一箇所、意味はおかしくなるとは思いますが、 瞼にするか、瞳にするかで悩みました。御指導よろしくお願いいたします

これは創作なのでしょうが、かっての経験が裏にあるのでしょうね。「とじらん」が文法的に変ですね。それに、 これだけが文語というのはいかがでしょうね。

添削:
「会いたくてただ会いたくて切なくて今会いたくて目蓋を閉じる」(蓮)

「せる」

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「泥運び軒に燕は新しき家庭つくらむと勤しみ励む」(多朗2004/04/21
今年は早くから温かいせいか、もう燕が巣作りにやって来ました、私の家の軒にも一生懸命巣作りをやっています


燕がもう巣づくりしていますか。早いですねぇ。残念ながら、我が家の軒にはトンと巣を作ってくれません。軒がある方角がちょうど交通量の多い国道に面しているからかもしれません。いや、それ以前に燕の姿をトンと見掛けないのです。経済的に凋落の街は、燕も避けて通るのでしょうかね。

添削(文語旧假名):
「わが軒に新しき家庭を作らむと燕ら勤しみ泥運びせる」(多朗)

(最後の「せる」は「している」の意味です。サ変動詞「す」の未然形に自発の助動詞「る」が付いたもの。)

文語短歌の課題

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短歌を詠もうと文語旧仮名遣いを使ったりするとついつい万葉集や古今集のような古風な歌になってしまうことがありますが・・・。どうすれば現代的なセンスのある歌になるのかしら?




「侘しさや茜の雲の色も失せ人待ち顔の月もかかれる」 (桐子さん2001年8月1日

最近、「古今集」でも読まれたのかな。ちょっと古風ですね。

添削・改作
「夕茜雲の色さへ薄れきて差す月光も侘びしきは何故(なぜ)」(桐子)

(初句から第二句にかけて、「ゆふあかねぐものいろさへ・・・」と続けて読みます。)

上のようにでも詠えば、古色は薄まりますね。

「人恋し障子に月の影あわく夢であいたしあの頃の君 」  (桐子さん2001年8月1日

これもやはり古色が隠せません。

添削・改作
「月光がしんしんと障子に照る夜半あの日の君に逢ひたし 切に」 (桐子)

このように詠めば、古色が薄れますね。

花鳥風月、相聞も、現代風に洗練させないと、短歌としてなかなか成功しません。難しいことですが。




「うたかたの夏かなやうやう脱皮すも狙はれしセミならなほさらに」 (桐子さん2001年8月11日

「脱皮すも」は、脱皮はしたものの、ということでしょうね。語法的に、また文法的にちょっと苦しいです。ご承知の上でしょうが。全体として女性らしい柔らかい語感に好感が持てます。やはり、おそらく最近読まれたであろう古典の影響を、ちょっと感じます。文語旧仮名遣いを使っても現代的センスで詠めば、古色は払拭されるものです。その場合、文語旧仮名遣いはあくまでも「詩語」として、歌に格調を、つまり「高い歌格」を与えるために使われるものです。また、しばしば簡潔表現が可能のため、限られた語数を有効に使うことにも役立っています。古色とは無縁です。文語旧仮名遣いだから古いという感覚は先入観からくる偏見とさえ言えます。

添削・改作
「脱皮してはや鳥の餌(ゑ)になる蝉や うたかたの夏は悲哀にみちて」(桐子)




「朔の夜に ソラの果てには 望の影 満つれば虧くと 古人の言ふも」 (裕紀さん2001年8月15日

基本中の基本ながら、5・7・5・7・7という文字数に翻弄され、結局何が言いたいのかわからない歌になってしまいました。
「月の見えない夜の方が、かえって、心のどこかで満月を思ってしまう。『満月になれば月は欠けてくる』と、昔の人は、満月から欠けた月を思ったそうだが」
というのが、この歌で言いたかった事なのですが・・・。
先日、夜遅くに帰宅しようと自転車をこいでいた時、偶然月のない空を見て
浮かんだ想いです。
新月ではなく、たんに曇りだったのですが(笑)。

どうしてどうして、随分考えてありますね。ただ、言われるように、内容がちょっとわかり難いのが残念です。しかし、歌材の新鮮さといい、語彙の豊かさといい、将来性を感じます。定型は初めのうちは抵抗にもなりますが、もともと日本語に最適な韻律ですから、詠い込むことで、やがて抵抗無くすらすらと定型にはまった歌が出来るようになるものです。(「朔」という語は少々古風な感じを与えますね。歌全体に古風な感じがする。こういう古語とも言える語を、現代風に詠みこなすには、相当な修練が必要でしょう。文語旧仮名遣いでも、それを「詩語」として使いこなすことで、またその長所を生かして、十分現代的短歌は詠めます。現代でも、正統派短歌は文語ですから。)

添削・改作
「朔の月満ちてゆく影想へるに欠けゆく月を愛でしいにしへ」(裕紀)

(愛でし=めでし)





 ゆく夏を惜しみ さ庭に降り立てば
       東の空に ベガスス上り来
 (幸乃さん2001年8月31日

「ゆく夏を惜しみ・・・」は、いかにも古風です。全体的にも感覚的にちょっと古色があります。また、「ペガスス」は「ペガサス」ですね。思い切って改作してみます。

改作
「炎熱の夏過ぎんとしさ庭辺に涼めば地平ゆペガサス昇る」 (幸乃)

古風であることについては 今後どのようにとらえていったらいいでしょうか といっても ほんの少し短歌を詠み始めたばかりで たくさんつくってみること そして おそれずに投稿すること しか ないと思っておりますが 

その通りですね。少しづつ難しい注文もして行きますが・・・。今回のお作は、たまたま古風味になったのでしょう。それもまた味かもしれません。 

口語短歌と文語短歌

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秋色をほのかにふくみやわらかく
 老犬の寝息
 木犀のかほり
(fumikoblueさん2002年11月6日

まず、少なくともここでは、短歌は間を開けずに、ひと息で書くようにして下さい。それは、本来(原則として)短歌はひと息に詠む(かつ読む)ものだからです。ある種の効果を狙って、部分的に間を開けたりすることはありますが。
 各句ごとに間を開けたり、3行書きをされるのは、例えばNHK歌壇や歌碑などの影響でしょうか。それらは、一行に収めると、文字が小さくなってよくない、という単純な理由からです。また、関連して、読み易さを考えてのことかもしれません。一方、啄木などは後年の口語的短歌で(仮名は旧仮名)、3行書きを積極的にやりましたがね。行を変えるごとに、その屈折点で何か思いを詰め込んだのかもしれません。読者にはなかなかそこまでは読み切れませんが。
 さて、このお歌ですが。一首は口語新仮名遣いか文語旧仮名遣いに統一するのがいいです。(困ったことにNHK歌壇では平気でこれらまぜこぜの歌が披露されているようですが。せめてもの節度として、一方に統一してほしく思います。もっとも、これもあくまでも原則でして、とくに語感を良くしたり整えるために、文語短歌に新仮名遣いを入れたり、また逆をやることはあります。しかし、それは意図的にそうしているのであり、それなりの効果を得るのが目的です。単に野放図に両方まぜこぜをやることはまずいと思います。)ですから、まずこれから詠もうとする一首をどちらで詠むかを決めないといけませんね。(別の歌はまた別に考えるのです。作品全部をどちらかに統一するのではなくて。詠もうとする内容によっては、どちらかがいい、と大抵は判断できるものです。人により、トータルとして、文語短歌が多い、ないしほとんど、ということはあり得るし、また逆もあり得ますね。)この歌は文語仕立てですね。すると、「やはらかく」であり、「かをり」です。(このBBSではこれまで何度も書いたことですが、「かほり」はミス、「かをり」です。)
 老犬の寝息に気をとめられた点は異色ですね。

添削:
「秋の色ほのか滲(にじ)める やはらかき老犬の寝息と木犀の香と」 (fumikoblue)

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