2.短歌とは?の最近のブログ記事

何故歌を詠むか

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「エプロンに紙片しのばせメモ書きに歌詠み綴り日々を生なむ」(夏子)
私は毎日エプロンを掛け仕事をしています。 ポケットにメモ用紙を入れて仕事中に歌が思い浮かぶと、メモをとりながら日々歌を詠んでいます。日記のような拙い歌ですが、 歌を詠むようになり今迄気づかなかった、優しさや喜び小さなことへの思いが深まり、短歌は私に新鮮な発見の楽しみを与えてくれます。 宜しくお願い致します。

今回のお作や添え書きに、何故歌を詠むか、という質問への答が書かれています。(もちろん、これが全てではないとは思いますが。) 短歌をやろうかどうしようかと迷っている人たちに何よりの言葉ですね。それに、みるみる上達しておられます。このお作も、 このままで十分でしょう。。。

感動が伝わるように詠む

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初めての投稿でしたが、ご添削ありがとうございました。私は、現在、 短歌とは何かと非常に迷っている状態です。ご教示いただきたいのですが、感動したことを詠み込まずに、事実や、感情だけを詠んだものは、 短歌とは言えないのでしょうか?あおぎり様のもとで、学んでいきたいと思っています。これからも、ご指導よろしくお願い致します。

散文ならいざしらず、「事実や、感情だけ」でも、何らかの感動がなければ短歌に詠もうとは思わないのでは? たとえば、写生歌など、対象がありありと読者に現前するように詠んでも、それは作者の感動が読者に伝わっている証拠ですね。また、 作者のその時の心理が風景などに投影されて短歌となっている場合もままあります。もちろん、短歌は写生に限られません。 詠むことがらとしては、無数の可能性があります。短歌は、作者の(いろいろな意味の)感動を詠むものですが、それが読者に伝わってはじめて、 短歌を詠み得た、といえますね。作者だけが感動していているのではなく(それでは独り言とかわりません)。感動を短歌に詠むとは、 作者の感動を伝える、という意味ですね。感動が伝わるように詠む、ということです。お励み下さい。

標語は短歌ではない

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  「老齢者の介護において不可欠は愛情・親切・優しき言葉」(広)
こう思って毎日母と暮らしております。

これは介護の標語にもなりそうなお作ですね?老齢者だけではなく、介護一般がそうなのでしょうね。ここではお母さんを意識してのお作ですが。 ただ、標語は(短歌の定型にはまっていても)短歌にはなりません・・・。下の形ならどうにか短歌かも。。。

改作例:
思ひ遣り、愛情、 優しき言葉など尽して母を介護する日々」(広)

「樺日と呼ぶ新聞の一ページ宗谷の門波ウエブにて見る」(暮秋)
もはや日本の領土ではなくなり、油田のことなどで国際問題になってもいるサハリンですが、なぜか地名などに興味があります。山口誓子(新比古=本名)が樺太日日新聞の叔父のところにいたのはわりと知られています。有名な俳句「流氷や宗谷の門波荒れやまず」から本歌取りならぬ俳句取りをちょっとやってみました。歌になるでしょうか。

サハリン問題というのは、今はガス田開発関連ですね。日本の大手企業などが2兆円もの巨費を投じているこの共同開発事業、クレムリンの一声で頓挫しかかっていますね。あちらにもそれなりの事情があるようですが、実に不誠実きわまりありません。アメリカまでが口を出し始めて、正に波高し、の情勢です。暮秋さんの場合、豊富な知識はいいのですが、知識のつまみ食いならぬ、つまみ取り、千鳥縫いで、歌意が透明ではありません。短歌は字数制限が厳しいですから、何を詠まれたいのか(読者にどんな感動を伝えたいのか)を整理され、定型化されてはいかがでしょうか?公表するからには、もっと読者を意識して作歌して欲しいと思います。複雑で直ぐには解からないように詠まれたものが深くて高尚な短歌だというのは間違いだと思います。本歌ならぬ本句と言われる誓子の俳句は、壮大なイメージが明瞭であり、句意も透明ですね。

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