歌に盛り込むべき最低限のものを明確にするの最近のブログ記事

言わずもがな

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「残業で枯れた心にしみわたる 鈴虫の音にしばし聞き入る」(ウッチー)
野からあふれる鈴虫達の鳴き声が、疲れた体にしみこんでくる様に感じられ、しばらく聞き入ってしまいました。添削していただければ幸いです。

残業は大変でしょうね。まさか(しばしば問題になる)サービス残業ではありませんね?疲れた心を癒すのに、鈴虫の音は最適でしょう。。。お作の最後の「聞き入る」は言わずもがな、と思われます。

添削(新仮名):「鈴虫の涼やかな音(ね)が残業で干涸らびた心にしみわたりゆく」(ウッチー)

固有名詞の羅列?

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アメリカの姉と交信パソコンと携帯ファックス三種の神器」(民子)
アメリカに住んでいる姉が、用事があり3月に2週間ばかり帰ってきます。それに伴う事務連絡のため、頻繁に連絡を取らざるを得ない今日この頃です。それにしても、パソコン・携帯電話のメール・ファックスと本当に便利な世の中です。どうして海を越えて外国まで瞬時に届くのか摩訶不思議です。その昔は手紙1枚出すのに飛脚が走ったのに・・・などと考えています。

ITを支えるのは電波、電子、などの不思議な作用ですね。お作は固有名詞の羅列で短歌になっているとは言い難いです。こんなにいろいろの名称を押し込んでは、三十一文字がパンクします。3月にお姉さんが一時アメリカから帰られるとのことですが、楽しみですね

”父”へのご指導ありがとうございました。添削していただくことの喜び、なんともいえない幸せ感をおぼえました。そして、失礼ながらその洞察力の鋭さはさすが、、、、、、と、驚嘆しています。今日は、母へ、というタイトルで詠みました。自分の幸せを追うことに終始して母への思いやりを欠いてしまい、結果元気できれいだった母が病気で半身が不自由になってしまったという背景です。(母を一人ぼっちにさせてしましました。私は一生悔いると思います。)
健やかな母の写真にきりきりと痛みおぼゆる我がなせしこと」(波子)

親は親の、子は子なりの、様々な事情がありますからね。お母さんの身近におられなかったことを「私は一生悔いる」と言われますが・・・。とはいえ、そのお心こそが大切なのかも。お作ですが、字数制限のきつい短歌に、いろいろと盛り込むことは、却って読んでわずらわしものです。何を一番詠みたいか、ですね。そこを押さえることが肝要でしょうね。

改作:
母病みて半身不随になりし見てきりきりと痛しわが親不孝」(波子)

効いていない言葉

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ひろらなる水仙卿に人の波やわらかな香り春の日に映ゆ」(千草)
先日淡路島の灘黒岩水仙卿に行ってきました、海に面した斜面に500万本の野生の水仙を観賞して参りまして、その情景を詠ませて戴きました。宜しくご教授下さいますよう御願い申し上げます。

「卿」は「郷」のミスですね。淡路島の灘黒岩水仙郷には水仙が500万本も、しかも野生で、観られるのですか。すごいですね。ただ、お作で「やわらかな香り春の日に映ゆ」ですと、香りが映えることになり、嗅覚と視覚が混同されているようですが・・・。このお作では「人の波」が効いていません

添削:
淡路島灘黒岩の水仙ら春の日に映ゆやはく香りて」(千草)

推敲の仕方

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「庭に咲く深紅の薔薇を切りてきてその一輪をお供へとせり」 (白嶺さん2002年10月30日

母の祥月命日に、真っ赤に咲いている薔薇を供えました。母は薔薇と苧環が大好きでした。


この歌を読む限りにおいて、よく解りますし、これでいいと思えます。しかし、添え書きの趣旨を詠まれたものとすれば、物足りません。それは「母の祥月命日」が抜けているからです。これを入れることで歌がぐんと身近に、しかも深みを帯びましょう。それでは字が足りないわけですが、改めて歌を読みかえすと、「庭に咲く」はどうしても必要な句なのか、とか、「切りてきて」はどうか、とか、思うわけですね。こうした省けそうな語ないし句を省いて、肝心の「母の祥月命日」を入れることはできましょう。宿題とします。。。(時には宿題もよろしかろうと。。。)


宿題有難うございました。勉強になりました。考えました。「庭に咲く」も「切りてきて」も単なる状況説明の言葉でしょうか、無くて良い言葉ですね。似たような歌ばかり三首で恐縮ですがご指導よろしくお願いいたします。

★亡き母の好みし深紅の薔薇一輪供へし祥月命日なれば(白嶺さん2002/11/04)

★仏前に母の好みし薔薇一輪供へし祥月命日なれば(白嶺さん2002/11/04)

★仏前に薔薇を一輪供へたり母の祥月命日なれば(白嶺さん2002/11/04)


この内では最初の歌が一番いいようですね。

「亡き母の愛(め)でし深紅の薔薇一輪祥月命日の今日(けふ)の供花(くげ)とす」


●薔薇見れば薔薇を愛でゐし母浮かぶその一輪をお供へとせり(白嶺さん)

ごめんなさい。こんな歌も詠んでみたのですが・・・?


これはうまいですね。いい歌です。少しだけ変えますが・・・

「薔薇咲けばそを愛でし亡母(はは)憶はれて一輪手折り供へまつりぬ」 (白嶺さん)

推敲の仕方

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「雲間より光りのシャワーが降り注ぎ見下ろす琵琶湖は輝きを増す」(ゆう子2002年9月24日

 歌は、伊吹山の標高1260メートル地点にある駐車場から周囲を見渡したときの感動で、とくに琵琶湖が予想以上近くに見え、傾いた日の漏れ陽をたまたま受けて光り輝く姿が見られて、得も言えぬ美しさだった。それを詠んだのだね。「光りのシャワー」と名詞で使うときは、たとえ口語新仮名でも「光」でいい。(他によく誤用される例に「話し」がある。名詞なら「話」でよい。「話し」は「話す」という動詞の連用形。確かに、この連用形が転じて、名詞「話」が出来たが。それは「光」も同様。動詞の連用形転じて名詞となるということ、その他にも沢山例がある。その場合、活用語尾を残さないことが多い。残す例もあるが、それは名詞としてまだ十分自立していない語。例えば「焦り」など。)
 この歌、美しい一瞬を捉えたところはいいけれど、語順など、まだ推敲の余地がある。第一、伊吹山が出てこないのは惜しいし、変だね。「見下ろす」だけでは惜しいのです。

添削:
「雲を破り射す日に琵琶湖が輝くを伊吹山より茫然と見き」 (ゆう子)


(「雲破り射す日に琵琶湖輝くを伊吹山より茫然と見き」とすれば、字余りなく、定型に収められるけれど、全体に詰まった(窮屈な)感じとなる。それゆえ、あえて字余りを使い、語調にゆとりを与えた。)

推敲の仕方

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 「雨上がり しずかなる朝 迎えおり 花つゆ含み 葉はみどり濃く」 (あゆ子さん2001年7月23日

空梅雨で心配していたときで、恵みの雨になりました。

これでもいいですが、添え書きのように空梅雨で恵みの雨だということを入れたいところです。そうすると後半が一段と生きてくるので

添削・改作
「空梅雨を嘆くに慈雨がしばし降り花の朝露もろ葉のみどり」 (あゆ子)

(もろ葉=諸葉;いろいろな樹木の葉

推敲の仕方

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「梅雨月夜ピアスを片方落としたの見つかるはずなのもう少しいて」 (nanamiさん2001年7月13日)

ピアスとあるから、若い女性ですね。添削には最小限の情報が必要でしてね、若いかご年配かくらいは知らないと。(最近は青年男子もよくピアスをしていますね。しかし、歌の感じからは明らかに女性。)
この歌、ピアスをうっかり落としたので、デートの相手を待たせて、月明かりを頼りに探している、という情景ですね。
初句「梅雨月夜」、苦労して探しあてた言葉かも。これまでにない表現、新しい表現です。今年は空梅雨で、月夜も珍しくなかったわけですが、短歌の常識的語法からは、やはりちょっと無理かな、という感じがします。雨の文字が入った「梅雨」という季節用語は、やはり雨天をどうしても連想させてしまうのです。
また、全体的にも語の運びがちょっと滑らかさに乏しいかな。例えば「片方」とわざわざ言わなくてもいいのでは?同時に両方を落とす確率は低いから。このように筋立てて考えて行き、無駄な言葉をなるべく省いて.真に言いたいことに焦点が当たるように組み立てるのです。
こういうと、大変そうですが、いやなに、数多く歌い込んで作歌に慣れてくると、自然にそのようになってゆくものです。
今回が最初だから、これ以上あまり難しいことは言いません。

ちょっと起伏を付けるようにしてみましょう。

添削・改作
「雨季だから潤んだような月明かり 落としたピアスあなたも探して」 (nanami)

推敲の仕方

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「報われぬ道と知りつつ歩みゆくや老女の姿吾に重なる」 (山口須美さん2001年7月13日

この歌,状況が分かりませんね。つまり,老女が歩いている目的がはっきりしません。ですから,何がどう報われないのか不明ですね。したがって,最後の心情表白も生きてこないのです.歌に盛り込むべき最低限のものがあるわけです。その点に注意して,もう一度詠み直してください。

50歳の半ばになり、日々老うることの怖さと老後の生活の不安がいつも私を追いかけます。老いた人が歩いているところを通りすがりに見たときふと感じたことです。よろしくお願いします。

「黙々と只ひたすら歩みゆく老女の姿にふと吾重ぬ」 (須美さん)
                                   
この老女の姿にその過去生のすべてが詰まった深い人生的な疲れを見られたのだと思います。人の(つまり自分の)行き着く先がこの老女の姿に見えてしまった、そういうことですね。

改作
「濃き翳を背負ひ黙々と歩み行く老女の後姿(ウシロ)やがてわれかも」 (須美)

(後姿=うしろ。短歌ではよくこのように読ませます。)

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