固有名詞の使いかたの最近のブログ記事

「踏切の一時停止が楽しみに側に群れ咲く花さわやかで」(夏子)
私が時々通る踏切の側に、薄紫の紫花菜が線路に沿い花畑のように咲いています。 車が一台やっと通れる道です。いつもはあまり気にもしない所ですが、今は爽やかな花を見るのが楽しみです。宜しくお願い致します。

今は各種の花の盛りどき。わたしもウオーキングの時にデジカメ携帯でたくさん撮しています。きりがないくらいです・・・。

添削:
踏切での一時停止の楽しみは脇に群れ咲く紫花菜」 (むらさきはなな)」(夏子)

今日も添削して頂き有り難うございました。先生にお尋ね致します。推敲をしながら、 長い名前ですので紫花菜の花の名前を入れた方が良いのか迷いました。初歩的な質問でお恥ずかしいのですが、 花を題材として詠む場合に花の咲いている様子や感じたことだけでなく、花の名前は必ず入れないといけないでしょうか? 

花の名前というのは、つまり固有名詞ですね。 何かにつけその物の名称など固有名詞を入れなければいけないとなると、これは煩わしい限りですね。つまり、場合(短歌作品) によりけりです。ただ、単に「花」とだけ言うより、固有名詞を入れることで具体性が出て、歌が締まる場合が多いことも事実ですが。 俳句と違って、短歌は一般的制約が少ない、いやほどんどないのが特徴の一つです。要は、一首として読んでみて(鑑賞してみて) の感じですね。一首ごとで判断すべきことです。今回のお作の場合、「紫花菜(むらさきはなな)」は音感もやわらかくて良く、 上の添削歌は(固有名詞を入れた)成功作と言えましょう。何度も読んで味わってみて下さい。

「甘き香に惹かれて見れば葉がくれに葛の花あり石畳道」(宋見)
[足柄の箱根の山に延ふ久受(くず)の引かば寄りこねしたなほなほに・万葉集]
我が家から少し登れば箱根旧道の石だたみ路にさしかかります。万葉に詠われているようにくずが延び放題に延びています。花は葉にかくれていますが甘い香りに引かれて葉を掻き分けてみますときれいな花が見えます。石畳の道はもう台風の風が吹きくずの葉を裏返して吹き抜けています。(石畳道のところを始めは箱根旧道としたのですがどちらがよいでしょうか?)

弱い台風が九州方面に接近中ですが、その余波が箱根の方にも多少出ているようですね。添え書きの万葉集の引用歌、あまりに的確に状況に合いますが、そうした場所に住まわれている幸いですね。お作で「石畳道」よりは「箱根旧道」がいいようです。こうした歌では、固有名詞が現実感を与える効果は侮れません

「甘き香に惹かれて見れば葉がくれに葛の花あり箱根旧道」(宋見)

うまく使われた例

| コメント(0) | トラックバック(0)

「萩寺と言へども今は境内に椿や梅がはなやかに咲く」 (渓水さん2003/03/12

出張で日本に来られた折の作品とはいえ、最近ご投稿の短歌を拝見していますと、とてもカナダに住んでおられるとは思えません。心は日本ですね。
 歌の中の仲間とは、案外カナダの人なのでしょうね。「萩寺と言へども今は」という言い方は会話や散文ならいいですが、短歌では説明的あるいは理屈っぽいと思われそうです。むつかしいところですが。実際、椿や梅が咲いていれば、萩の季節ではないことは解りますからね。それより友を連れてきたということを言われるといいです。(はなやか、ということで、友を案内した甲斐も出ます。)また、萩寺という名称(通称ながら、固有名詞)を出すことで、今は椿や梅が華やかに咲いているけれど、秋には萩の花で境内は飾られるのだと、そう思いながら読者はこの歌を鑑賞でき、歌に味と奥行きが増すわけです。現に咲いていない萩の花が、頭の中で椿や梅と重なる効果があります。固有名詞がうまく使われる例ですね。すると、下のような添削となります。

添削:
「萩寺に友と来にけり境内は椿や梅がはなやかに咲く」 (渓水)

「雨雲の去りし朝日に行縢山 岩肌荒く近くに見ゆる」 (由里さん2002年11月4日

雨のあとは山も田園も澄んで見えますね。雨が空中の塵を洗い落としてくれるからだと思います。そして、山肌などがいつもより近くに見えるわけですね。「行縢山」は「むかばきやま」と読むのですね。振り仮名が必要かもしれない。標高831メートル。大きな岸壁があり、九州でも名山のひとつ、とのこと。歌中の「岩肌」はこれですね。
 お歌はほとんどいいですが、少し変えましょう。

添削
「雨雲の去りて朝日に行縢山(むかばきやま)荒き岩肌迫りてぞ見ゆ」 (由里)

(何か万葉的な雰囲気の歌になりました。)

「秋天に伸びる柱は万葉の人影ひそむ郡衙(ぐんが)跡にて」 (槿花さん2002年10月4日

藤枝市御子ヶ谷の志太郡衙(郡の役所)跡。約1,200年前の奈良・平安時代に造られた駿河国志太郡の郡衙(郡役所)跡とのこと。槿花さんの添え書きで「丘陵地を背にして緑に囲まれ、万葉植物なども植えられており、森閑とした好ましい場所です」とのことですが、古代史のロマンを誘ういい場所のようですね。万葉の匂いも色濃く漂っていることでしょう。

読む人が知らない特定の場所を詠むのは難しいですね。

確かに、固有名詞が直ぐに活きない不利はありますね。逆に「郡衙」という珍しい言葉が新鮮に響く、ということもあります

添削
「秋天に伸ぶる郡衙(ぐんが)の柱には万葉人(まんやうびと)の吐息ひそめる」 (槿花)

「木曽川の緑の土手に彼岸花群れ咲き雨に打たれて紅し」 (ゆう子2002年9月29日

「雨に打たれて紅し」はどうだろう。雨に打たれるから「紅」いわけでもないだろうし。。。しかし、緑、雨、紅、と並べて、色彩感覚を出そうとしているところはいいね。初句「木曽川の」も、実際はどの河でもいいのだろうが、固有名詞を使うことで歌が締まるということはあるね。

添削
「木曽川の土手緑濃く点々と朱の彼岸花雨にきわだつ」 (ゆう子)

「赤紙を手にして見入りし藻岩山再び見るは嬉しかりとも恥なりやとも」(酔狂さん2002年8月16日

(注)藻岩山(モイワヤマと読む)は、札幌市の西にある標高500m程の山で父の生家に近く、父には幼少、青年時代を通じて馴染み深い山でした。

父の思い出話が基です。短歌に限らず、凡そ文学と称するものに固有名詞を使うことは難しいと思われます。この短歌も、藻岩山ではなく他の普通名詞を使うことは可能かもしれませんが、父の思いを考えると、この固有名詞は譲れません。しかし同時に、当事者ではない息子(=粋狂)には短歌の完成度も気になるところで、判断に迷います。

固有名詞は対象を特化しますから、良く知られたもの以外はなかなかうまく使えないものですね。ただ、言われるように、作者には使う必然性のある固有名詞もあるわけですから、そうした場合は使うべきでしょうね
 この歌はお父さんの思いを代弁されたものですね。

添削
「赤紙を手に見納めし藻岩山再見を恥ぢ且つ喜びし父」(酔狂)

「ガリンコ号の行く手に群なすオジロワシ鋭き眼で一点を見つむ」 (白嶺さん2003/03/08)

ガリンコ号は流氷観光船で、氷をガリガリと砕いて進むからこの名があるのですね。確かに<ガリンコ号>では意味不明と感じる読者もいましょう。しかし名は体を表すの諺どおりのこの名称も捨て難いです。そうした場合は、こうした特殊な語は、歌のあとに簡潔な説明を付けるといいと思います。こうした(名がそれほど流布していない)固有名詞や、専門用語には略注を付けることは、これまでもしばしば行なわれます
 歌はこのままで十分です。嘱目がいいですから、状況を素直に詠まれればそのまま短歌完成ですね。
 
(あの歌の場合は「ガリンコ号」という固有名詞を生かしたいですから、しかし一般には流布していない名であり直ぐには理解されませんから、簡略な説明なり解説をつけることでこの語が使えますし、また生かすことが出来ます。専門的な内容の歌などでよく見受けられる手法です。(万葉集など、古歌集では、歌の由来が解かるように、歌の前に詠まれた経緯などを解説し、また特殊語には歌のあとにも説明を加えています。)もちろん、短歌は原則としては、一首ごとに、それだけで(つまり解説や添え書きなしで)読者を納得させねばなりませんが。2003/03/10)

旅行詠だとわかる

| コメント(0) | トラックバック(0)

「早朝のチャオプラヤー川に乗合船行き交ひ初めて一日始む」 (桐子さん2001年12月1日

結句の「始む」は変ですね。これは「はじめる」ということですから。ここは「はじまる」と言いたいのでしょう?「チャオプラヤー川」という固有名詞が効いていますね。これで旅行詠だということが分かります

添削
「早朝のチャオプラヤー川に乗合船行き交ひそめて今日が始まる」 (桐子)

「何時の日に旅は始まり何処にて旅は終わらむサロベツの野よ」 (酔狂さん2001年8月15日

「サロベツ原野」は観光スポットになっていて、サロベツから原野を連想することは容易であろうということ、と「原野」のイメージも、まぁ、人によるイメージの違いはすくないだろうという期待を基にしていますが粋狂の勝手な思い込みかもしれません。

これは概念歌ですね。ちょっと掴み所がありません。最後のサロベツという固有名詞がそれほど効いていないのが残念です。その具体名が、それより前の曖昧表現に負けてしまっているわけです。まず、何を詠みたいのか、ある程度整理する必要がありますね。「サロベツの野」で「人生」を表現しているのか・・・。「人は皆、人生という舞台で、いづくより来たり、何を行い、いづくへ去るのか」と詠みたいのですか。もう少し気持ちを整理され、詠み直されてはどうでしょうか。

固有名詞を歌に取り込むときに注意すべきことはどのようなものがあるでしょうか

固有名詞を使うことは、読者に視点を絞らせて作歌の意図を知らしめるのに役立ちます。曖昧さがそれにより払拭されるという効果がある。季節や時刻など具体的なものを入れたりするのと同様な効果です。逆に、一般性を犠牲にするので、詠む意図に応じて使うか否かを決めます。もちろん、固有名詞の音感も大事ですね。詩語として使うという基本を忘れてはなりません。また、よく知られた固有名詞であれば、それに付随する一般通念があるということを考慮せねばなりませんね。一方、全く知られていない固有名詞もしばしば使われます。これには一般通念は付随しないので、その呪縛から解放されている、という有利な面がある一方、知られていないが故に、何故わざわざ無名の名前を使うかの意図がはっきりしないと失敗します。固有名詞自体に含意があるとか、新鮮なイメージを生み、また響きを持つとか、これを使うことで歌全体が引き締まる効果があるとか、作者固有の捨て難い愛着があるとか、といったかなり明確な理由がなくてはなりませんね。

カテゴリ

アーカイブ

Powered by Movable Type 5.14-ja