連作についての最近のブログ記事

「いつまでも食卓にあるDMのように夫婦はそれぞれにいる」(優子)
ダイレクトメールやフリーペーパーをすぐに捨てればいいのに。ついついテーブルの片隅に置いたままになっていつしか山に。先日、夫とちょっとシリアスな話になり、ほう、夫はこんなことを考えていたのか、としみじみすることがありました。そんなに仕事が大変だったのかぁ。知らなかったなぁ。気づかなかったなぁ。大いに反省。

旦那だって、たまには仕事での苦労を女房に聞いてもらいたい時があるものです。。。お作は、無関心が故に卓上にずんずん積み重なっていくDMのように、夫婦はいつしかお互いの日々の生活、ことに職場での生活に無関心になるものだ、そのことにふっと気付かされた、という嘆息ですね。三十一文字一首ではなかなか詠みきれない内容ではあります。このお作が舌足らずであることも止むを得ません。連作しかないかな。

焦点がぼける?

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「咲き初めし白百合匂う母の庭に肩を並べて雨後の夕ぐれ」(すめーちゃん)
>ご近所から戴いた鉢植えの白百合がむせかえる程の匂いと大輪の花で母の庭を明るくしてくれていました。嬉しそうに母は、戴いた方の話をしてくれました、奥様が半身不随で入院されており奥様の好きな白百合の咲く日に一時帰宅させたく頑張って(10鉢)管理されておられるそうです。その1鉢を母にプレゼントして下さったそうです。そんな話を聞きながら雨あがりの庭に佇んでいました。戴いた方の思いも歌に詠み込みたく挑戦いたしましたが、初句に頂きしとした方が良いでしょうか、宜しくお願いいたします。

以前に記されたのでしょうが、お母さんは孤り住まいでしたか。その住居の庭という意味で「母の庭」と言われたのですね。母・娘の間で匂う鉢植えの白百合、大輪とのことですが、佳い時間が持てましたね。贈り主を入れると焦点がぼけるでしょう。二首連作にするか、ですね。

「咲き初めし白百合匂ふ母の庭に肩を並べて雨後の夕ぐれ」(すめーちゃん)

「姑作る鎌倉彫りの器にて自身最期の元旦祝う」(たかこ)
「ままならぬ身体をおこし重詰を、美味しくきれいと言い呉れし姑」(たかこ)
昭和60年1/6日義母逝去いたしました。病院で死にたくないと言いその年の元日苦しむ姿お気の毒でしたが義母の手作りの鎌倉彫りの重箱におせち料理に腕をふるいました。その間も私の名前を何度も振りしきる声で呼んでくれていました。義母は手早くお料理の腕前もよく、色々教えて頂きました。22歳で嫁ぎ一緒に22年暮らしましたがこの4‐5日義母のことすごく思いだされます。二首になりましたが宜しくお願いします。

お姑さんは「鎌倉彫りの重箱」を作られたのですね?すごいですねぇ。たかこさんが22歳で嫁いで来られ、22年間一緒に暮らされたお姑さんのことが最近すごく思い出されると。お姑さん逝去は昭和60年1月6日とのことですから、殆ど丸21年前のことですね?思い出されたのは、お節料理の季節だからですね?死の数日前にお節料理を作って、お姑さん手作りの重箱に入れてあげたら、「美味しくきれい」と言われたわけですね?生きている側の者は、故人については思い出すことでしか報いることが出来ません。故人の生前の全思考は電磁波となってこの空間に彷徨っているのかもしれません。それが故人を思い出させるのかもしれませんが。お師匠さんのような、いいお姑さんだったようですね。

添削:
「姑(はは)作りし鎌倉彫りの器にて姑(はは)の最期の元旦祝ふ」(たかこ)
「ままならぬ身体を起こし重詰を美味しくきれいと言ひ呉れし姑(はは)」(たかこ)

(自分が作った鎌倉彫りの重箱に詰められた、お嫁さんが作った美味しくもあり色鮮やかなお節料理を、今生の食べ収めとされているお姑さんの幸せな姿が目に浮かびます。二首連作として生きていますね。いい歌だと思いました。)

一首では無理

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「巨大鍋三杯分の豚汁で心身温む義父の畑(はた)にて」(麻里子)
いつも御指導ありがとうございます。義父は,市民農園で本格的に野菜を作っています。そこの芋煮会で,畑をやっている方々が豚汁を大量に作ってふるまってくださいました。準備にも相当な時間がかかったと思います。心身とも暖まりました。

いかにも美味しそうな豚汁ですね。巨大鍋三杯分の豚汁を作って大勢に振舞うほどに、義父さん、大掛かりな野菜作りをされているのですね。いや、市民農園ですから、他の人たちのように、義父さんはその一郭を借りて、野菜を作っておられるのかな?お作の「義父の畑(はた)にて」という表現にちょっと惑わされますが。この豚汁会は市民農園としてのものなのでしょうね。これはやはり一首では無理でしょうね。二首連作にされるといいですね。そのうちの一首は・・・

添削(改作):
「巨大鍋三つで作る豚汁で心身あたたまる市民農園」(麻里子)

御指導ありがとうございました。
切り口がわからず,うまく表現できなくてすみません。
義父は,品評会での優勝もあり,市民農園の中のかなり広い一郭で,野菜を作っています。
よろしくお願いいたします。

義父は趣味で有機野菜を育ててる九割あげてもまだ余るほど

「九割あげても」とは?ひと様に与えても、ということかな?あとの1割りだけでも自宅用としては有り余ると。それなら相当大規模に野菜の栽培をされているのですね。それでも趣味の範囲ですか?また、実際に9割かたはひとに上げておられるのでしょうか?無農薬の有機野菜ですか。健康的ですね。

添削:
「義父は趣味で有機野菜を育ててはひとに九割あげても余す」(麻里子)

「スティチールの簡易ステップ踏みしめて80m一気に下る」(文)
ダムサイトでの説明の後、見学のためダム底まで下りました。この情景は独立した一首では意味を成しません。連作としてはじめて分かるのですが、連作の場合でも、やはり一首の独立性が必要でしょうか?それにしても、これだけでは、ダム底に下りたことも分かりませんね。

「スティチール」とは?「スティール」(鋼鉄)のミスかな?連作の場合でも一首一首が独立した短歌として鑑賞に耐えることが理想でしょうね。さらに、一連の短歌で全体としてあるテーマを構成するわけですね。

添削:
「ダム底へ鋼製階段踏みしめて80メートル一気に下る」(文)

歌の焦点

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「徘徊で車に跳ねられ逝きし君の墓標抱(いだ)きて喪章の揚げ羽舞う」 (迷倫さん2002/05/04

短歌は字数制限がありますから、主に何を詠いたいか、を絞り込むことが必要です。それを前面に出して、あとはその主題が目立つような語句の斡旋をする。いいたい事を2つも3つも入れますと、焦点がボケて、読者に伝わる感動も、訴える力も弱くなります。この歌にもそれが見うけられますね。前半と後半で少なくとも二つの主題があるようです。
 初句「徘徊」が単に「散歩」の意味なのか、ボケからくるそれなのか、前者なら省略してもいいし、後者ならそうはいかない、ということが先ずあります。たぶん、後者でしょう。お友達がボケによる徘徊で車にはねられた、これは一大事件ですね。また、喪章が揚げ羽のように墓標に舞う、というのも故人の何かを象徴しているのでしょう、これも詠いたい情景。
 こういうときは無理せずに、二首で詠うのです。つまり二首連作ですね。もちろん、一首一首がそれぞれの主題を持った独立した短歌である必要があります。一首づつでも鑑賞に耐えるような歌である必要があります。

歌の焦点

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「手をつなぎ歩きし我が子 学び舎へ見守られたる園あとにして」 (きよしさん2002/01/16

この歌、いつも手をつないだりしてまつわりついていた幼い子が小学校へ上がるんだという感慨と、色々お世話になった幼稚園への感謝の念とがだぶっていますね。こうした場合、短歌ではどちらかに絞って詠むとうまくゆきます。両方を詠み込むこともできますが、焦点がぼけて、先生へのお礼の歌としては弱くなるのです。(あるいは、二首の連作とするか、ですね。)

ご参考詠(口語短歌です;二首連作):
「幼くて親にまとわりついていた愛(いと)しいこの子がもう小学生」(きよし)
「さまざまなご慈愛受けた幼稚園お陰でこの子も小学生に」(きよし)

(「この子」のところに、お子さんの名前を入れるのもいいですね。)

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