短歌の添え書きについての最近のブログ記事

説明書き

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トマトになり人を待たせる18分これが限界サラダになれぬ」(遊葉)
約束の行き違いで、人を待たせてしまい待ち合わせ場所に電車で向かいました。突かれたらプチンとはちきれそうなほど早く着いて欲しいと張り詰めた車中の18分。柔らかなドレッシングと交わる余裕など無い心境でした。その時を歌にしましたが、このように状況をお伝えしてもよろしいのでしょうか?

このように状況説明など添え書きをしていただけますと、お作がそれをどれだけ伝え得ているか解かりますし、お作だけからは何を言われたいのか解からないときに助かります。添削の参考になるのです。このお作も喩えが効いておらず、大変解かりにくい歌になっていますね。添え書きが無かったらどなたも理解出来ないでしょう。(なお、短歌は原則的にはそれ自体のみで伝えたい感動がよく伝わるように詠むことが求められます。実際、古来秀歌と言われる歌は、大抵は説明書きなしで、読んで直ぐ感動するものですね。ここでは添削の参考として、状況説明などを添え書きして戴いていますが。)お作で、「トマトになり人を待たせる」はご趣旨に照らしてよい表現ではありません。待たせたことでトマトのように心臓がパンパンに張ったのでしょうから。「サラダになれぬ」とは、添え書きの「柔らかなドレッシングと交わる余裕など無い心境でした」を表現したもののようですが、読者にそのように伝わりますかどうか。この状況を喩えを使って詠むこと自体が無理なもかもしれませんね。切迫しているのであれば喩えを持ち出す余裕もない筈ですからね。

添削:
「人待たせトマトの気分の18分もう限界だサラダになれぬ」(遊葉)

「笑いつつカメラを向けて撮すよと母に向けたる笑顔の写真」(葉月)

亡母がかって写真を撮ってくれた時のことです。上の句は母の動作。私がカメラに向かって(同時に母に向かって)微笑んだ写真です。よろしくお願い致します。


添え書きでは「上の句は母の動作」とのことですが、「・・撮すよと母に向けたる笑顔」という語の流れではそのようにはとれません(それが解かっていて、添え書きで解説されたのでしょうけれど)。大事なのは、添え書きの解説なしで解かるように詠むことですね?ともかく、写す方も写される方も笑顔の、楽しい撮影ですね。本当は母娘のツーショットが撮りたかったですね?

添削(改作):
「笑ひつつ「撮すよ」とカメラを構へゐる母に向けたる笑顔の写真」(葉月)
添え書きはなるべく簡潔を旨としたいですね。短歌というものは、短歌だけで、しかも本来一首一首で成り立つものです。歌が詠まれた経緯とか、背後にある作者の個人的な事情とは無関係に、歌の鑑賞者(読者)は自分の個人的な精神世界の中で作品を鑑賞する。これが原則です。(もちろん、場合に応じて、最小限の説明が必要なこともありますが。)ですから、しばしば歌の作者の意図とは全く違うものとして鑑賞されます。作者は読者の理解・鑑賞に枠をはめたりするものではありません。それは強制になるからです。(歌が詠まれた事情とか作者の個人的背景は、鑑賞者にとって作歌者が身近な人であったり、作歌者が有名人のときは穿鑿されたりもしましょうが。

「岡田山に咲く花見れば遠き日にこの花を見し人の思ほゆ」(大仙さん2003/04/06

 この歌の場合、短歌として十分成立しています。詠まれていない部分(作者大仙さん自身として詠みきれていない部分)は、それを読む側の想像、連想に任せればいいわけです。そうでなければ、歌を鑑賞する側の自由意思が狭められてしまいますから。

添え書きの文体

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(添え書きをつけてみました。ところで、この添え書きは添削していただくためというよりは状況説明というか、これが無いと意味が通じない歌となっていますがそのあたりはいかがなものでしょうか?また、添え書きもこのように文体を同じにすべきなのでしょうか?)。

わが妻の生き別れの父と再会せしことを詠める歌
「瞬時にて埋まりし父と娘の溝に十年分の涙流れむ」(まことさん2003/04/05

歌の前の添え書き、古歌集に倣いましたね。随分古く感じませんか?ここは現代文でいいでしょう。(「自分の妻が生き別れた父と再会したことを詠んだ歌」ですかね。)歌の「埋まりし」は、土砂や(地震で倒壊した)家屋に埋まった、ということではないのですね。この語が先にあると、どうしてもそのようにとられてしまいますね。何か事故か事変があって、離れ離れになったと。
 この歌の背後には随分複雑な過去が隠されているようですね。

添削:
「わが妻は10年振りに父と会ひ涙で瞬時に溝を埋めぬ」 (まこと)

「ガリンコ号の行く手に群なすオジロワシ鋭き眼で一点を見つむ」 (白嶺さん2003/03/08)

ガリンコ号は流氷観光船で、氷をガリガリと砕いて進むからこの名があるのですね。確かに<ガリンコ号>では意味不明と感じる読者もいましょう。しかし名は体を表すの諺どおりのこの名称も捨て難いです。そうした場合は、こうした特殊な語は、歌のあとに簡潔な説明を付けるといいと思います。こうした(名がそれほど流布していない)固有名詞や、専門用語には略注を付けることは、これまでもしばしば行なわれます
 歌はこのままで十分です。嘱目がいいですから、状況を素直に詠まれればそのまま短歌完成ですね。
 
(あの歌の場合は「ガリンコ号」という固有名詞を生かしたいですから、しかし一般には流布していない名であり直ぐには理解されませんから、簡略な説明なり解説をつけることでこの語が使えますし、また生かすことが出来ます。専門的な内容の歌などでよく見受けられる手法です。(万葉集など、古歌集では、歌の由来が解かるように、歌の前に詠まれた経緯などを解説し、また特殊語には歌のあとにも説明を加えています。)もちろん、短歌は原則としては、一首ごとに、それだけで(つまり解説や添え書きなしで)読者を納得させねばなりませんが。2003/03/10)

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