歌材についての最近のブログ記事

かくれんぼして待つ我をあたふたと探す姿にいとしさ募る」(波子)
思い出や、想像の世界を詠んでもいいのでしょうか?

思い出はよく詠まれますね。想像の世界を詠む詠まないは、ご本人の好みによりましょう。読者が読んで分かるように詠まれることが前提ですが。。。このお作は、タイトルが「追憶」ですから、子供さんが幼かった頃の思い出なのでしょうね?

真剣に短歌に取り組もうとするには随分難しい事ですね、前記でのべたように只三十一文字並べれば歌になると云う安易な考えでは何時までたっても上達しない事に気がつきました。(九里多朗さん2002年9月22日

それはそうでしょうね。少しは上手く詠もう、という意識も(短歌にあまり慣れていない間は)必要でしょうね。

それから「あおぎりさん」に伺いますが、私のように実際に体験したり見たりした事を歌材にしてしか歌の作れない不器用な人間は進歩しないのではないでしょうか。最近の自分の作品を読むだびに、つくづく拙さを思い知らされています。もっと基本的な事を忘れて歌作りをしているように思います、教えて下さい

いや、多朗さん、結構いい歌を詠んでこられましたよ。歌作りは「実際に体験したり見たりした事を歌材に」することが基本ですから。それは決して不器用ということではありません。たしかに、同じ歌材を詠むにしても、色々切り口があり、したがって種々の詠み方がありましょう。「もっと基本的な事」と言えば、他の人の短歌作品をたくさん読むことで、歌の調べとか節調とかに慣れるとともに、たくさん作歌する(歌を詠む)ことで自分の調べを獲得すること、また文章力のある小説家の作品を(散文ですが)多く読むことで、人を納得させる語の流れを感得するとともに、語彙を増やすこと、などが考えられます。短歌を始められたこと、そのこと自体が多朗さんには歌才があることを示しているわけですから、焦らず、ゆっくりじっくりと、永く作歌を続けられれば、短歌というものに自然に慣れられ、多朗さん固有の短歌作品が出来るようになるはずです。いや、これまでも正直おやっと思わせられるお作が結構ありましたよ。
 こうしたこともそうですが、「上達する」ことは考えることなく、ただ歌に慣れ親しみ、楽しむ、という気持で短歌をやることもできますね。こうした気持でやられればいいのではありませんか?作歌が苦痛では、本来の意味がなくなります。楽しんでやってください。「上達」がなんですか。それを意識することなく、楽しんでやっているうちに、「上達」しているものではありませんか?

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