字余り字足らずについての最近のブログ記事

亀戸天神のすぐ近くにあるというので行ってみました。あやかろうと 墓石の破片を持っていく人がいるとのことで、 墓石全面角から欠けています。正岡子規とか斎藤茂吉とかのお墓も(行ったことが無いのでわかりませんが) そうなのだろうかと友人と話したことです。
普門院の墓地の右奥棕櫚の下伊藤左千夫の墓暗くあり」 (いずみ)

有名税と言えばそうなのでしょうけれど、これは道徳観の問題なのかも。墓荒らしは祟られます。。。この歌、固有名詞をたくさん入れて、 うまく纏められましたね。お作はこのままでいいですね。

白妙の木蓮ひとつ春あらし吹くわが内にひそやかにあり」(麻里子)
実家のある横浜では,もう白木蓮がほころびかけているそうです。東京に春一番が吹いた頃,私の心の中にも同じような風が吹き荒れていました。その心の中に密やかに咲いている白木蓮のようなものに気づきました(白木蓮がどのようなものであるかは曰く言い難いのです。わかりにくくて申し訳ありません。心の旅に出ていたときのことです…)。旧仮名短歌の連作になるはずの一首目です。御指導よろしくお願いいたします。

横浜ではもう白木蓮の花がほころびかけているのですか。先日は春一番も例年よりひと月も早く吹いたり・・・、異常ですね。こちらでは花芽が見られるところです。心に吹いた春一番は白妙の木蓮の花を吹き散らすことはなかったようで、よかったですね。なお、短歌は定型に収めることが基本ですが(初心の間は特にそうかも)、それに拘り過ぎますと、結構窮屈感のある歌になることがありますので、お気を付け下さい。読んで気にならない程度の字余りは、語感にゆとりやふくらみをもたらす場合、むしろしばしば巧みに利用されますね。字足らずの方は一層注意が必要ですが。お作、麻理子さんの心奥のことを詠まれたものですね。

白妙の木蓮ひとつ春あらしの吹くわが内にひそやかにあり」(麻里子)

「朝湿りの歩一歩とゆく散歩径 曲がれば垣根に新しき風」(祥子さん2006/06/24



 今朝は近くの山の中腹まで、霧が降りていました。 その中を、ゆっくり散歩をしていましたが、 みかん畑の垣根を曲がると、新しい、 ひんやりとした風が通っていました。  いつも添削をありがとうございます。 <歩一歩とゆく>ですが、この言葉が、ここで適当なのかどうか 分からないままにお伺いするのですが, これは、<字足らず>の部類に入るのでしょうか。お教え下さい。




初句「朝湿りの」が1音余りですね。第二句「歩一歩とゆく」は1音足らずではありませんが、発音がなめらかではないため7音ではないように感じますね。ここであえて「音」といったのは、それがより正確だからです。余るか足りないかは字数(平仮名表記する時の字数)より音(シラブル)ですね。読んだときの感覚ですので。例えば「一歩一歩と」ですと7音感覚ですね。ここは良いご指摘だと思います。下二句は添え書きとは違った意味に取られるでしょうね。ともかく、垣根に沿って曲がったとたんに(方向が変わるため)それまでなかった風が体を包んだのでしょう、その微妙な感覚を詠われたわけで、やはり日頃短歌のことを考えておられてこそ、ですね。



添削:

「朝湿りにゆったり歩む散歩径垣根曲がれば新しき風」(祥子)

「間一髪雨より先に帰り着き靴脱ぎ散らかし布団取り込む 」(ポエムさん2006/06/22

ちょっとそこまでと出かけたら、あわや雨か?と大急ぎで家に帰り着き、何とか雨が降る前に取り込んで・・・ 破調というのですか、「字余り」「字足らず」はどの程度まで許されるものでしょうか?


「字足らず」はあまりやりませんね。効果的と思って意識的にする場合も皆無とはいえませんが。一方、「字余り」の方は結構します。もちろん、その為に読みづらくなるのはなるべく避けるべきですが、今回のお作では読んでみてほとんど気にならない字余りですね。厳密に定型を守ろうとして却って窮屈な感じになる場合や、読んでみてゆとりやふくらみなどが感じられる字余りならいいですね。また、文法ミスまでおかして定型にはめ込む例も見受け、これは避けたいです。文法ミスより字余りの方がよほど救われます。なお、ちょっとした字余りや字足らずを破調とまではいいません。破調の短歌は、ほとんど全体が非定型ですね。字余りも1字、2字ではありません。上3句、あるいは下2句だけを破調にするとかもあります。自由律とも言えますが、自由律短歌はむしろ定型を認めず、積極的に破壊します。そうした短歌も一部では作られています。それに旧仮名、新仮名、口語・・・と、現代短歌は種々雑多です。このサイトではオーソドックスな短歌を前提にしています。かといって、それに厳しく拘泥もしてはいない。今回のお作は面白いです。こうした状況は誰にもありそうだし、情景が目に浮かびますね。布団が雨に濡れたら悲劇ですからね。このままで十分ですよ。

咲き満つる

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「ハナミズキ咲き満つ路をそぞろゆくポトマック河畔のサクラを胸に」(がんてつ)

アメリカから贈られたというハナミズキですが、今では並木としてアチコチの路で美しい花を魅せてくれています。一方アメリカへ渡ったサクラも、ポトマック河畔に大きく育って人々を魅了しているそうです。双方が戦争という時代を過ごしましたので、抜かれたり折られたりの妨害にあったようですが、それを乗り越えていまが在る事を後になって知りました。

ハナミズキは我が家の前の歩道にも並木をなしています。(今が花どきですね。)歩道を整備する時に前立っていた立派な樹木が伐り倒され、代わってナハミズキが植えられました。以前は夏など街灯を受けて夜中でもセミが盛んに鳴いたのはその樹木でした。セミがぱったりと来なくなりました。動かない、大人しいからと、人は樹木をぞんざいに扱うものですね。ここで言われている桜対ハナミズキのお話は興味深いですね。ポトマック河畔の桜もすっかりワシントンに溶け込みましたが。お作で「咲き満つ」ですと終止形ですのでここで一旦切れてしまいます。ここは次の「路」という体言にかかるわけですので連体形「咲き満つる」とせねばなりません。字余りになるからといって、文法ミスを犯すのはもっとまずいですね。もちろん、この一首、内容的にも奥行きがあっていいですね。「ハナミズキ」との対比(と米国であること)でわざと「サクラ」と片仮名にされたり、工夫をされていますし。

添削:
「ハナミズキ咲き満つる路をそぞろゆくポトマック河畔のサクラ思ひつつ」(がんてつ)

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