表記についての最近のブログ記事

短歌の句読点

| コメント(0) | トラックバック(0)

 「遠く住む母の様子が写メ-ルで瞬時に見れて一安心す」(つれづれ)

母の元へ行けないときは、弟から(母の)元気な様子が写メ-ルで送られてきます。それを見て安堵する自分がいます。よろしくお願いします。

現代はIT時代で、メ-ルもその一つですね。便利な道具です。お作の中の「見れる」は、いわゆる<ら抜き言葉>ですね。正しくは「見られる」。(最近は、「見れる」など<ら抜き言葉>がひんぱんに使われていて、特に「見れる」など、新しい辞書には入れられているかもしれませんね。が、ここではやはり避けたいと思います。)

添削:
「遠くに住む母の様子が弟から写メ-ルで送られ瞬時に安堵」(つれづれ)

(なお、短歌中に句読点を使うことについてですが、短歌の語の流れによっては一息入れた方がよい、と思われることがある場合、その度合いによって一字分空けるか、「、」を打つか「。」を付けるか、することがあります(そんな場合でも敢えてしないこともありますが)。切れ方がこの順に(あとの方ほど)強くなるわけですが。もちろん、どうしても入れなければならないものでもありませんし、やたらに入れる人もいます。)

短歌の句読点

| コメント(0) | トラックバック(0)

添削:
突然に逝ってしまって悲しいわ。脳裏に鮮やかモモちゃんという犬」(瑞
希)

あおぎり先生、こんにちは?!♪あの・・・基本的なことなのですけど、短歌で、「句読点」はありなのでしょうか?

(和歌ではなく)現代の短歌には、作歌上の制約は原則としてありません。その歌に効果的と思われるものは使えばいいわけですね。

漢字の使い方

| コメント(0) | トラックバック(0)

天城路に木々の芽吹きの音聴こゆ、たゆとう光りに山動き出す」(宋見)
光りあふれ木々に芽吹きの音を聴く天城は浅き春にざわめく」(宋見)
2月末、天城峠を越えると伊豆の海からの光りが鮮やかに山を照らし、木々の芽吹きの音が聴こえてくるように感じます。冬の眠りから山が目覚めのときを迎え、風にざわめいています。浅春の天城越えの楽しさです。

天城山と聞けば国定忠治を、また天城越えと聞けば同名の演歌(唄・石川さゆり)を連想しますが、そういうことがなくても名所なのですね。添え書き自体が大変詩的になっています。なお、前に別のところで書きましたが、「光り」の「り」は不要です。「光りて」とか、連用形として使う場合は別ですが、ここでは「ひかり」という、完全に普通名詞化した語ですので。「芽吹き」の「き」も、旧仮名短歌なら不要です。新仮名短歌なら、この語はまだ十分には普通名詞化していないと思われますから、普通「き」を残しますね。「芽吹き」。こういう時だけ口語新仮名でも旧仮名を転用するところなど、面白いですね。新仮名では「芽吹く」の連用形は「芽吹い(て)」で、語尾は「き」ではなく「い」ですから。動詞の連用形を名詞化して使う際に、口語にも旧仮名遣いが残っていますね。)なお、「聴こゆ」ですが、「きこゆ」は自然に聞えてくることですね。そういう場合は「聴」の字は適当ではないでしょうね。これは注意して聴く場合に使われる漢字ですから。「見る」と「観る」の関係のような。二首目でも「きく」とありますが、やはり自然に聞えてくることをそう言われたものですから、「聴」よりは「聞」でしょう。

添削:
天城路に木々の芽吹の音聞こゆ たゆとう光に山動き初む」(宋見)
添削:
光あふれ木々の芽吹きの音を聞く天城は早き春にざわめく」(宋見)

二首目は、注意して芽吹きの音を聞かれたものとすれば・・・
添削?2:
陽を浴びつつ木々の芽吹の音を聴く天城はすでにざわめきて春」(宋見)

吾 と 我

| コメント(0) | トラックバック(0)

人知れず谷間に咲きぬ水仙の花楚々として吾らを迎へり」(瑞希)
あおぎり先生、こんにちは?!♪いつも、ありがとうございます。先日、お友達と一緒に・・・「淡路島の立川水仙郷」というところに、「水仙(早咲きの日本水仙)」を観に行きました。本当に、「郷」と名がつくほど・・・山奥の谷間に、水仙畑というか・・・。見事な景色が、私達の目を・・・捉えました。画像は、その一部です。今日もよろしくお願い致します。

今、どの路地でも水仙が盛りです。飽きるくらいです。お作で、「迎へり」は変です。完了を表す助動詞「り」は、「迎ふ」のような下二段活用の動詞にはつかないのです。「吾ら」は「われら」のおつもりのようですが、よくないですね。「われら」か「我ら」がいいです。

添削(旧仮名):
ひそかにも谷間に咲ける水仙の花清らかにわれらを迎ふ」(瑞希)

(中略)それから、「われら」の「吾ら」ですが、女性の場合・・・この「吾」の漢字の方がいい?ということを、聞いたことがあるのですが。。。おかしいのでしょうか?意味は、「我」と同じだと思うのですが。。。お尋ねします。

「我」(われ、わ)は「あ」と読むことはありませんが、「吾」は(あ、われ)と読みますね。ただ、どちらかというと「あ」という場合が多いし、この文字が出てくると先ずは「あ」と読んでしまうでしょう。一読で「われ」と読ませたい時は「我」か「われ」をお勧めする理由です。字面で「我」がきついなら、「われ」と平仮名で書くといいですね。

数字の書き方

| コメント(0) | トラックバック(0)

悪夢とも思へるやうな震災の一日を思ふ12年過ぎしも」(瑞希)
あおぎり先生、こんばんは?!♪今日、1月17日は・・・日本国民にとって、忘れもしない・・・「阪神淡路大震災」の起こった日ですね。多くは、語りませんが。。。ただただ、この教訓を、今後にどう生かすかが?私達に課せられた課題でもあると思ってます。よろしくお願い致します。

歌で「悪夢」とありますが、瑞希さん(および身近な人たち)も相当な被害を蒙られたのでしょうか?次は東海、東南海大地震だそうです。それが起こったら愛知住まいのわれわれはひとたまりもないかも。阪神淡路大震災では6千人余が命を落とし、負傷者はさらに多く、家屋を失った人たちも数限りないくらい・・・。東海、東南海大地震が併せて襲ったら、その一桁増しかも。

添削(改作):
悪夢なり阪神淡路大震災十二年過ぎしても記憶まざまざ」(瑞希)

あおぎり先生、こんばんは?!添削(改作)をしていただき・・・ありがとうございました。
私は、中国地方なので・・・あの当時、震度4位だったと思います。
日本は、「地震列島」ですから・・・これからまだまだ、不安な状況が続きそうですね。
でも、離れるわけにはいかないし。。。
ところで、短歌の場合・・・「12年」と言う表記は、駄目ですよね?「十二年」ですよね。


いえ、常に十二という漢字表記でなくてはいけないということではありません。その歌の中でどちらがいいか決めるものです。ここでは漢字に挟まれているし、歌の印象から漢字がいいと判断しました。一首ごとに考えるべきことですね。

我が と 吾が

| コメント(0) | トラックバック(0)

「同病の友をいたわる母親のまなざしに我が<むかし>を想う」
(麻里子)

添削:
「まだ癒えない病友いたわる母親のまなざしに吾があの頃想う」(麻里子)

どうもありがとうございました。推敲が足りず,意味のわからない歌になっていました。
質問ですが,〈我が〉と〈吾が〉は,何が違うのでしょうか。何となく〈吾が〉が合うような感じはするのですが…。

「我が」は「われが」とも読みそうですね。「わが」か「吾が」がいいようです。漢字の感じからもその方がいいでしょう。

カテゴリ

アーカイブ

Powered by Movable Type 5.14-ja